柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

2020年の優先事項

2020年の仕事始め。
二週間の長い休みをつかって、スキーに行ったり帰省したり。妻とたくさん話し、子供たちともたくさん遊んで、祖父母や父母ともまとまった時間を取れて、Physically, mentally and spiritually fully recharged。

意気込んで2020年の初オフィスに行ったのだけれども、7時間弱働いただけでどっと疲れた。年明けに買ったApple Watchに"HeartWatch"という心拍数可視化アプリを導入しているのだけれども、そのアプリからなんども心拍数が高くなっているとアラートがでる。机に座ってパソコンに向き合っていろいろなメールを読んでそれに対応しただけなのだけれど、不安・悩み・怒り・興奮などネガティブ・ポジティブに関わらずテンションの高いいろいろな気持ちがそれぞれのメールに対して沸き起こる。それが身体反応として出ているのかもしれない。仕事に慣れるとここまでの体の反応はでないのだけれど、久々のことに脳と体がびっくりしているのか。
しまいには肩もこり始め、夕方には久しぶりの頭痛。休みの間には一切そんなことなかったのに。働くって大変だ。幸いにも、二週間遊びすぎて疲れているかもしれないという予測から、筋膜リリース・鍼治療の予約をしていたので夕方ジムで筋トレをした後で鍼治療を受けた。受けているだけで頭痛もすっきり。肩こりも解消。助かった。

仕事始め早々健康第一だなと痛感したところで、2020年の目標。目新しいことはなにもなく、ほぼすべて昨年からの継続。


1. 力強くかつ機能的な体づくり
昨年3月に週一でジムに通い始めて、昨年末にようやくベンチプレス72.5Kgまであげられるようになった。亀の歩みではあるけれど、自分の限界に挑戦し、徐々に自分の限界が更新されていくのは楽しみだ。また、余計なことは一切考えずに、集中して重いバーベルを上げるのは最高のストレス解消でもある。今年は一ヶ月1kgのペースで最大挙上量を増やせれば理想だけれども、怪我をしないことを優先してまずは80kgまではあげられるようにしたい。同時に家ではピラティスなどの頻度も増やして機能的な身体づくりを目指す。また、夜更かしせずに睡眠時間をしっかりとり、瞑想も継続して心身ともに健康でいたい。


2. オン・オフを切り替えて家族と充実した時間を過ごす
2月から別の部署に異動になり、通勤にかなり時間がかかるようになるのでこれまでのように平日子供たちと時間を過ごすことは難しくなる。その分ちゃんとオン・オフを切り替えて、休日は100%家族と(仕事以外の)自分自身のために使えるようにしたい。また、月二回程度の在宅勤務ができないか、仕事に慣れてきたら検討してみたい。


3. 仕事に全力を尽くす
健康な身体、幸せなプライベートが礎となって、最後は仕事。仕事がうまくいかないと結局長時間労働やストレスを抱え込んで身体・プライベートにも悪循環になるし、ここも当然外せない。新しい部署での仕事は未経験のエリアなので、謙虚な気持ちで学びながら、周りの人たちそしてビジネスの結果にちゃんと貢献できるよう頑張りたい。


4. Seven habitsを日々心にとめる
これはここ10年ばかりずっとやり続けていることではあるけれど、今年もまた心機一転Seven habitsを意識して充実した日々を送りたい。常に「重要事項を優先する」こと。

ブログ更新はここ最近どうしても優先順位が低くなっているのだけれども、自分の内省の良い機会でもあるのでもう少しまめにアップデートしたい。

機能的な体づくりについてのサブ目標 - まっすぐ立つ・まっすぐ歩く

また、この1年半ほど筋膜リリースの鍼治療を受けるようになって、立っているときの姿勢がかなりよくなってきた。肩こりも頭痛もかなり減った。ただし、まだまだ「まっすぐ」立つことは難しい。今日ちょうど革靴のかかと部分を修理してもらったのだけれども、かかとの外側ばかりがすぐにすり減るのだ。筋膜リリースの先生とその話をしたところ、まっすぐ立てるようになるとまっすぐ歩けるようになり、その結果かかとの片減りもなくなるとのこと。先生の靴を見せてもらったところ、確かに全く片減りしていない。母子球・小子球をつなぐラインとかかとのあたりが均等に磨耗はしているのだけれとも、前後左右のバランスがとても良い。靴もほとんど買い換えたり修理したりしないそうだ。試しに歩き方の見本を見せてもらったところ、とてもキレイな歩き方。これを目標にしたい。
ポイントは、お腹を引き込み、内転筋を締める意識。広背筋を意識して肩を下に下げ肩甲骨を寄せる。顎を引く。両足を平行に置く。前のめりにならないように意識としてはかかとに重心を少し寄せる(6:4でかかと側と母子球側。かかと、母子球、小子球の三点で立つイメージ)まっすぐ立てたらそのまま足をひねらずに、足を前後にまっすぐ動かす。かかと全体で優しく着地。

インビクタス 負けざるものたち

ラグビーW杯の盛り上がり、すごい。我が家でもにわかに盛り上がり、熱い戦いを手に汗握って観戦中。

先日の日本ー南アフリカ戦はたまたまた新橋の台湾料理屋で前の会社でお世話になった二人のN氏と観戦。残念ながら日本は敗れてしまったけれど、あのぶつかりあいながら前へ、前へというガッツに心震えた。

今日はニュージーランド-イングランド戦を観戦。そのあとNetflixをつけたらこれまたラグビー映画が目に入ってきた。インビクタス/負けざるものたち。

インビクタスというのはラテン語で「屈服しないもの」という意味だそうだ。屈服しなかったのは1995年南アフリカラグビーW杯で南アフリカラグビーチーム。でもそれだけではない。四半世紀を超えて独房に収監され、アパルトヘイト後の南アフリカの方向を決定付けたネルソン・マンデラという一人の偉大なリーダーこそが「屈服しなかったのもの」なのだ。

マンデラは長い収監に屈服しなかった。そしてまた、その後大統領となったのちも安易に多数派の黒人のみの人気取りに走ることを拒んだ。マンデラは黒人と白人との間の更なる分断ではなく、融和を目指して国を率いた。そのマンデラの、寛大さと高潔さによりスプリングボクス、SPたち、官僚たち、そして国民が一つになっていく。

劇中でマンデラが繰り返す「我が運命を決めるのは我なり、我が魂を制するのは我なり」は、英国の詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリの詩「インビクタス」の一節だそうだ。

I am the master of my fate, I am the captain of my soul

ぼくはマンデラのような人生を歩んでいるわけではないけれど、ぼく自身や周りの人々がみなI am the captain of my soulであれたらと思う。

 

 

 

 

 

ゲド戦記 さいはての島へ

ゲド戦記第3巻の『さいはての島へ』を読了。前巻で青年だったゲドは、この巻では冒頭すでにロークの大賢人である。世界の均衡が崩れ始めている原因を探りに旅に出るその連れは17歳の若者アレン。この話は17歳の青年の成長物語。

若きアレンは大賢人と二人で旅をする中、その気持ちが揺れ動く。最初は単なる憧れ。そして憧れの相手を助けようという気負い。それがいつしか大賢人への疑念へと変わる。ロールプレイングゲームの世界と全く違って、この大賢人はとにかく派手な魔法を全く使わないし、どこへいくのか、なにか解決策を考えてるのかといったことを断言するわけでもないから無理もない。しかし一緒に旅をしていく中で、アレンは少しずつゲドを理解していく。最後に大きなことを成し遂げて、全ての魔法を失ったゲドを背負ってこの世界に戻ってくるのは他ならぬアレン。アレンはその後アースシーの偉大な王になるのだけれども、ゲドは何か明示的に教えたりしない。それはすべてアレン自身の気づきに委ねられている。

ひとは成長するけれども、それと同時に老いていくしいつしか死ぬ。この話は成長と同時に、死と死への恐れ、死を超越しようとする力と退廃を描いているのかな。 不死のものを目指すクモに立ち向かい、それを抑えたゲドは全ての力を失って故郷ゴントへとひっそり帰っていく。自分自身の全ての力を失ってまで。ゲド自身大賢人とまでよばれる魔法使いなのだから、ゲドがクモのように永遠の命を欲することだってできなかったわけではないだろう。世界を次の世代に託していく大賢人の謙虚さは彼自身が真に偉大であることの証であるような気がします。

蛇足ながらこの本を読み終わって、あれ?アレンの父親殺しのエピソードはどこへいった?と思ったのだけれどそれは宮崎吾朗監督のアニメ映画の方だったのだね。アレンの成長と偉大な王への道のりを語るのに、彼が王殺しである必要あったんだろうか。。

 

ゲド戦記 3 さいはての島へ (ソフトカバー版)

ゲド戦記 3 さいはての島へ (ソフトカバー版)

 

 

 

 

ゲド戦記

13年前に一度、そして7年前に再び読んだ『ゲド戦記』をまたまた読み始めた。まずは第2巻まで。

第1巻はいつ読んでも面白い。ワクワクするし、ハラハラもする。光と闇というモチーフは今や古典的でもあり、安心感がある。

それに対して第2巻。第2巻は血湧き肉躍るような話ではないし、迷宮の中に囚われたゲドが八面六臂の大活躍をするなんて話でもない。ロールプレイングゲームや漫画にはなかなかなりにくいかもしれない。これはゲド戦記という名前だけれど、ゲド自身はあくまで脇役だ。

二巻は読み返すたびに感想が変わる。13年前の日記を読むと「閉塞感がある」という印象を書いていた。7年前には「味わい深く広がりがある」との感想だった。

主人公は名前を奪われ、闇の神殿で大巫女として使えるアルハ。前の巫女の生まれ変わりとして五歳で神殿に連れてこられたアルハは、外の世界を知らない。そしてその立場は神殿の絶対者である。神殿内の絶対者として祭り上げられ傲岸に育つアルハ。一方で自分の部下たるコロンは実は神を信じておらずアルハ以上に権力を持つ。そのコロンに対する恐れ。そして女人以外立ち入れない闇の神殿にやってくるゲドによりすべてが変わり始める。そんななかアルハの心の動きが抑えた筆致のなかにありありと浮かんできてとても面白い。自由とはなんなのか、ということを問いかけてくる。

一度目より二度目。二度目より三度目。読み直しても飽きることが全くなく新鮮な気持ちで楽しめる。すごい本。

ゲド戦記 1 影との戦い (ソフトカバー版)

ゲド戦記 1 影との戦い (ソフトカバー版)

 
ゲド戦記 2 こわれた腕環 (ソフトカバー版)

ゲド戦記 2 こわれた腕環 (ソフトカバー版)

 

 



 

Suchmos

土曜日。夕方横浜公園近くに鍼治療を受けにきたら、横浜スタジアムから漏れ聞こえてくる音楽。なんだかいい感じ。調べてみたら明日の日曜日、ここでSuchmosの野外ライブがあるみたい。行ってみたかったな。

 

2014年から2017年まで暮らしていたソウルの街。ソウルの高速を車で流しながら1番かけてたアルバム。あの頃五歳ばかりだった娘のこの曲の記憶はCostcoだそうだ。確かに週末はよく行ったもの。懐かしいな。

THE BAY

THE BAY

 

 

鍼を打ってもらいながら音楽の話でひとしきり盛り上がる。先生のオススメはNulbarich。家に帰って早速Apple Musicで調べてかけてみた。とてもいい感じ。

H.O.T

H.O.T

 

 

 

 

マチネの終わりに

平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」を読了。面白い。

子供の頃から活字中毒で、本ばかり読んでいた。でもここ最近、長編小説を読む気力体力が落ちてきた気がしていた。ネットの短文ばかり読み慣れてしまったからだろうか?

ところがどっこいこの小説を読み始めたら止まらない。忙しい毎日にもかかわらず、止まらない。面白い本に出会えると時間の余裕があまりなくても関係ないんだね。

大人の恋愛小説だけれども、それだけではない。音楽、ジャーナリズム、親子関係、職業倫理、差別、テロ、難民、親となること、離婚、裏切り、絶望、希望。そしてそれらを通じて垣間見える主人公二人それぞれの、軸となるプリンシプル。主人公二人がとても魅力的だ。そして、作者の人間を見る目が暖かい。

物語の最後は読者の想像に任されている。二人はきっと語り合い、わかりあい、でもお互い恋人としてではなく独立独歩で歩き続けるのではないだろうか。なんて想像はつきない。もう一度読んでみたい。

マチネの終わりに (文春文庫)

マチネの終わりに (文春文庫)

 

 

 

慈雨

柚月裕子さんの推理小説「慈雨」を読了。警察を定年退職した主人公が、妻と連れ立って四国のお遍路さんへ。

事件現場からは遠く離れた四国を歩き続けているので、主人公自ら犯人と対峙するわけではない。血湧き肉躍るシーンがあるわけでもない。ただ歩き、思い、そしてたまに後輩からの電話で事件にアドバイス。なんとも静かなのだけれども、その静けさの中にしみじみとした余韻がある。

主人公の葛藤、悔恨、そして勇気。とてもいい本だった。

慈雨 (集英社文庫)

慈雨 (集英社文庫)