柿の種中毒治療日記

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通夜

この日はお通夜だった。できるだけ家に居させてあげたいという祖父の気持ちから家で通夜をすることを決め、時間や翌日の葬儀の段取り、不祝儀を持って来てくださった人への品や花輪の数を決めたりもうてんやわんやの忙しさ。
といっても僕自身は全くの役立たずで、祖母のそばに行っては顔をなでて涙流してただけ。喪主は祖父だけれど、祖父もこういうことのだんどりとか苦手なので、弟が八面六臂の大活躍でほとんどのことを仕切ってくれた。弟の成長、と僕が言うのもおこがましいけれども、本当に頼りになる。
葬儀屋さんとの話で僕が唯一したのは遺影の写真の話。昨日祖父が選んだ写真は僕たちが去年京都旅行に行った時の一枚で、源光院の廊下で下からあおるように撮った写真だ。にこっと満面の笑みですごく楽しそうな写真。アングルも手伝って、祖父曰く『ばあちゃんが羽ばたいて行くよう』に見える写真。だけど、葬儀屋さんには別の写真を勧められたので残念ながら断念して同じく去年の旅行で撮った正面から優しく笑っている写真にすることになった。*1
昼前には奥の間で眠っていた祖母を*2棺桶に入れた。手甲脚絆ははかせてあげたけれども、頭の三角形のヤツはやめといた。人一倍美しさにこだわってたんだから最後にこんなもの頭に巻かれるの嫌だよね。その代わりに母が知り合いに頼んで買って来てもらったバラの花で一面に飾った。棺桶のふたをしめると、なんだかまたちょっと祖母がもう帰らぬ人になったんだっていう気がして来た。昼過ぎには貸衣装屋さんにも来てもらって、喪服を借りた。弟からの電話で会社から直行したこともあるけど、まさかこんな服が必要になるとは思ってもいなかったと改めて呆然。。。
途中で祖母の日記を発見してしばしそれをめくった。一日一言だけの日もたくさんあるけど、祖母の目から見た毎日が伺えた。その中に何度も僕たちのことが出て来て、とても嬉しくなった。それと同時に気の強かった祖母の寂しいという言葉を見つけてはっとした。もっとありがとうって言ってあげれば良かったなあ。
夜は思っていた以上に人がやってきて、家がごった返した。ここでもやっぱり僕は役立たず。次々に訪れる会社関係の人たちに弟がしっかり挨拶をし、イトコ二人が受付をてきぱきとする中、僕はまたぼーっとしてた。ふう。通夜が終わって、事務職の本領発揮で今日来てくださった弔問客のリストをエクセルで作成。手を動かしている間は悲しまなくて済む。
お寺さんが帰って、それから奥の間で色々な話をした。

*1:あとあと考えてみたら、たくさんの人にも見られる訳だしこれが正しい選択だったんだけど、その時は実はかなりムカッとしちゃった。

*2:本当にずっと眠っているようだった。優しい笑顔でさ。