柿の種中毒治療日記

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芝生の復讐

こないだ買ってきた『芝生の復讐』をお風呂の中で毎日10分ずつくらい読み進めようやく一度目の読了。短編集だからどこから読んでもいいし、どこを開いても違う楽しみがある。読めば読むほど味がでてくる。で、藤本和子訳と、東京サブレ鈴木訳とを比較してみてなお楽しめる。

The old bus (Original)
I do what everybody else does: I live in San Francisco. Sometimes I am forced by Mother Nature to take the bus. Yesterday was an example. I wanted to get some place beyond the duty of my legs, far out on Clay Street, so I waited for a bus.
It was not a hardship but a nice warm autumn day and fiercely clear. An old woman waited, too. Nothing unusual about that, as they say. She had a large purse and white gloves that fit her hands like the skins of vegetables.
Revenge of the Lawn/the Abortion/So the Wind Won't Blow It All Away/3 Books in 1 Volume: The Abortion ; So the Wind Won't Blow It All Away

年寄りバス(藤本 version)
わたしは誰もがすることをする。つまり、サン・フランシスコに住んでいる。ときには、その母なる自然の条件ゆえに、どうしてもやむをえずバスに乗る。きのうのことがその一例だ。わたしの脚の本務の限界を超える場所、すなわちずっと遠くのクレイ通りまで行きたかった。わたしはバスを待った。
つらくはなかった。暖かな秋の日で、空は過激なほど晴れ渡っている。ひとりの老婆がやはりバスを待っていた。そんなこと、どうってことない。彼女は大きなハンドバッグを持って、野菜の皮のようにぴったりとした手袋をはめていた。
芝生の復讐 (新潮文庫)

オールド・バス(鈴木 version)
ほかのみんなと同じようにぼくはサンフランシスコに住んでいる。そしてときどき、母なる自然に導かれるように、ぼくはバスに乗る。昨日がそのいい例だった。ぼくはクレイ通りを遠く離れて、足の向くままどこか遠くへと行きたいと思い、バスを待つことにした。

別に苦痛を感じることもない、暖かく気持ちのいい秋の日だった。素晴らしいほどの青空だった。年配の婦人がぼくと同じようにバスを待っていた。特別おかしなことは何もなかった。彼女は大きな財布を持っていて、手には白い手袋をはめていた。その手袋はまるで野菜の皮のように彼女の手にぴったりとフィットしていた。
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同じ原文から訳されているのにやっぱりずいぶん雰囲気が違う。翻訳ってほんとうに面白いなあ。村上春樹が翻訳には時代性があってどうしても翻訳は古びていくというようなことをどこかで書いていたけれど、ほんとうにそうだなあ。時代の問題なのか、それともそもそもぼくがブローティガンを知ったきっかけが東京サブレだったからかはわからないけど、鈴木訳の方がなんかしっくりくる。
ぼくだったらどう訳そう。大学時代に柴田元幸の翻訳の授業というのがあって、それを友達がとっていたのを横目に見ていたけれど、ぼくも挑戦しとけばよかったなあ。ものすごい量の宿題だったらしいけど。その大量の宿題にすべて柴田元幸が赤ペン入れてくれるとか改めて考えてみるとすごいことだ。