柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

さよならブルートレイン

NHKを見ていたら「寝台特急 ラストラン〜人生を運び続けた半世紀」という番組をやっていた。ちょうど昨日、3月13日でブルートレインが姿を消したんだって。知らなかった。
ブルートレインディーゼル機関車が走る単線のあるひなびた田舎町に育ったぼくは鉄道に惚れ込む事はなかったのだけれども、それでもブルートレインだけは特別な存在だ。1996年3月のちょうど今ごろ、東京の大学を受験して、はがきで受け取れるはずだった合格通知をなぜか申し込まなかったぼくは、夜10時過ぎに出るブルートレインにのってわざわざ東京に向かったのだ。いてもたってもいられなくなって。新幹線で行けば良いのに、なぜ寝台特急を選んだのかいまではすっかり理由が分からないのだけれど。
初めての寝台車は予想以上に楽しくって、向かい合わせの席に座ったおっさんと世間話をし、彼が酒に酔って寝入った後はカーテンを引いて電車に揺られながら本を読み続けてた。明け方、新幹線のリズムとはちがうのんびりとしたリズムの中富士山を見て、熱海や小田原辺りをのんびり走ったあの車窓からの光景は今でもまぶたの裏に焼き付いている。歯磨きをしながら通り過ぎたのは大磯辺りだったのかなあ。東海道線のホームに並ぶたくさんのスーツ姿のサラリーマンを見るのは初めてで、みるもの全てがこれまで育った街と違って見えた。いまから合格発表を見に行くなんて気持ちは忘れてただただ窓の外の風景に釘付けになってた。
東京駅から丸の内線に乗り換えて、どきどきしながら合格発表の掲示板に向かった。掲示板の前で喜びの声を上げた人たちがその声を聞きつけたアメフト部に胴上げされる光景の中、ひとり自分の番号がある事を確認して内心とてもとてもほっとしながらも、ひねくれていたぼくは声を出す事もなく、胴上げされる事もなくひとり書類をもらう列にむかったんだ。携帯なんてまだ触った事もなくって、ポケベルさえも持っていなかったぼくは書類をもらって昼過ぎにようやく家に電話した。そのときの会話もなぜかまだ覚えている。
そして東京で暮らす事になり、色んな人と出会い、いろんな事を経験しながら気付けば今はフィリピンにいる。もう13年も前になるのか。ぼく自身もその間にずいぶんかわったし、これからもまた変わり続けて行くのだろう。ブルートレインがなくなることはそんな思い出のきっかけがなくなるようで少し寂しいけれど、これからもいろいろ楽しい事があるんだろう。さよなら、ブルートレイン