柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

続報ー民主主義についてちょっと考えた

昨日の工事現場での事故の続報。ひとり建設作業員が亡くなったそうな。箝口令が敷かれていてニュースに出たりするわけではないのだけれど、やっぱり人の口には戸はたてられぬ。なんとこのビルの工事で死亡事故は初めてではないのだって。地下の基礎工事をしている時にやはり事故でひとり亡くなっているそうな。さらに昨日聞いた前回の事故というのは、今建設中のビルの前に完成したビルでの事故だったのだそうだ。ということは毎度毎度高層ビルを建てるたびに死人が出てるってことじゃないか。海底トンネル掘ってるわけでもないのに、なぜこんなに死亡者が出る事が普通なのか。安全管理の手順や発想になにか根本的な過ちがある気がする。それとも違うのはただ単に人一人の命の値段の差なのだろうか。交通事故にあって死んだって20万円ももらえない国だというし。建設管理者の責任を金でうやむやにできる制度の問題だろうか。以前、フィリピンには民主主義や三権分立なんてないって話を書いたけど、これもまたそのひとつの現れなのだろう。
政治ーリーダーシップ/正義/自由 - 柿の種中毒治療日記
その点、今の日本はまだ健全なものだけれど、それを単純にフィリピンの後進性だと片付けるわけにはいかないだろう。ちょうど昨日NHKで江藤新平の特集をやっていたのだけれども、明治初期の日本の官憲ってろくでもなかったんだね。知らなかった。政府高官である井上馨が民間の経営者に難癖をつけて足尾銅山を詐取し、それを裁判の場で公に争おうとする真っ当な動きに対してなんとかそれをつぶそうと画策する。結局判決で井上馨は罰金刑に処されるのだけれど、その後も役人の不正を追及する江藤新平は高官たちから煙たがられるのだ。司法の整備を訴える江藤に対して、井上馨は『政府高官にたてつく裁判所のごときものは押さえねばならん』みたいなことをどうどうと言っているわけ。『裁判所のごとき』ってあなた*1。今のフィリピンでは司法は権力の傀儡なのだけれども、同じようなことが日本でもあった事は忘れちゃいけないなと思う。明治以後、言論弾圧、軍部の横暴、大政翼賛会と続いて行った日本の歴史を考えたら、それが繰り返される事がないなどという保証はどこにもない。そしてフィリピンの今後。日本は(問題はまだ多々あれど)幸運な事にそういう時代を経て今の状況までこぎ着けてきたわけだ。いったい何がカギだったのか。それをフィリピンが見つけて、本当に民主的な国家になれる日が来るのだろうか。

*1:そして司法より軍備だ、となってその後へと続く