柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

マルコス

週末行ってきたイロコス・ノルテはマルコス元大統領の出身地である。ホテル主催のLaoagツアーではマルコス大統領の生家およびマルコス記念館にも立ち寄った。マルコス元大統領は20年間と言う長きにわたってフィリピンを独裁し、その間私財を溜め込み腐敗を蔓延させ、数多くの弾圧を繰り返した悪の元凶だという印象を持っていた。最近イランの選挙結果がかなり話題になっているけれども、マルコスも票の操作なんて何のその。戒厳令を発して独裁体制を強化したり何だりとひどいひどい。
実際亡命先のハワイでなくなった後も、3年間フィリピンへと遺体を運ぶ事を認められず、ようやく認められた後もマニラでの埋葬は認められなかった。国民感情が非常に悪かったからだという。そのためにマルコス家では生家の隣りに廟を作ってそこに冷凍したマルコスの遺体を安置しているのだ。写真を撮る事は認められていないけれども、遺体は誰でも見る事ができる。
しかしそこで意外だったのはイロコス地方でのマルコスの取り扱われかたである。本で読んでいた『大多数のフィリピン人感情』とは全く違う。すべてが英雄扱いなのである。実際ガイドに話を聞いてみると、彼は貧しかったイロコス地方から出た郷土の英雄なのだという。何をしたのか。彼はインフラの整備に力を入れたのだ。そのおかげでかイロコス地方はマニラと比べるとど田舎あるにもかかわらず、道だけはかなり良い。そういう目で見ると、彼はフィリピンの田中角栄なのかもしれん。
出身地方への利益誘導による政治というのがいかに強力なのかまざまざと感じる。たとえ国全体の視点からすると全く評価に値しない政治家だとしても、出身地へ利益を誘導していれば高く評価され少なくともその地盤では盤石だ。日本ではここまで極端な事は行われていないと信じたいけれど、似たような構造はありふれている。長野にリニアモーターカーの駅を二つ作れ、とかさ。そしてさらに物事を複雑にしているのはこのマルコスはレーガン大統領と大変親密で、アメリカ政府の後押しを受けた独裁だったこと。民主化の旗手を気取るアメリカという国の矛盾もまざまざと感じる。マルコス亡き後のフィリピンで民主主義が根付き始めているのかというとそこもかなり怪しい。今の大統領も汚職や選挙での不正、自分の権力を守るためと噂される憲法改正による大統領制から内閣総理大臣制への移行などなどきな臭い話がたくさんだ。民主主義・地方分権、って言うは易し行うは難しだなあ。


写真は北のマラカニアン宮殿。マニラにある大統領官邸と同じ作りであり、マルコスの別荘だったのだという。二階部分にはイメルダ夫人の部屋、二人の娘の部屋に巨大なボールルーム。イメルダ夫人はボールルームでのダンスが大好きで、ここで連夜パーティを開いていたそうな。

巨大なボールルーム。床はすべてナラの一枚板だ。

イメルダ夫人の寝室。ばかでかい。

こちらがマルコス大統領の生家と記念館。パネルに掲げられた言葉はとても響きのいい言葉ばかりだ。彼が実際に行って来た非民主的な政治に対する批判は一切ない。マルコス礼賛記念館。