柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

カンボジア、微笑みの遺跡を巡る

憧れのカンボジアへ行ってきました。バンコクから出発して、3泊4日の旅。これまでの旅行の中でも最も印象的な旅となりました。今日はその一日目。

シェムリアップ

朝6時前のバンコク国際空港。相変わらずすごい規模の空港で、朝早くからたくさんの人で賑わっている。バンコク国際空港ではシンガポールに負けないアジアのハブ空港を目指している。そのシンガポールでは最近さらに大規模な空港が開港したとのこと。この隆盛っぷりはすごいね。茨城空港とか静岡空港にお金と時間をかけている場合じゃないし、『向こうがハブならこっちはマングースだ』なんてだじゃれを行っている場合じゃないぞ、なんてちらっと思うのをとめられない。
8時にバンコク国際空港を飛び立った。シェムリアップ国際空港まではわずか一時間弱。ずいぶんと近いのだ。降りたところはバンコクとは一転、空のとても広い田舎の空港。でもこんな空港でもバンコクのみならずシンガポールや重慶などなどアジア各地を結ぶ飛行機が就航しているのだ。

ビザを発行してもらい、入国審査を済ませてカンボジア入国。まずはタクシーを捕まえてホテルへ向かった。ドライバーのSIMはなかなか英語がうまい。この後の観光もどうかと話を持ちかけてくる。タクシー会社の所定の値段で一日30ドル。ホテルでタクシーを手配するともっと高い、ぼくはガイドも出来るからガイド要らずで一石二鳥だなどとかなりの売り込み。初日だしまあいいかととりあえずお願いすることにした。実際には泊まったホテルが高いホテルだったので値段は全く変わらなかった。車はぼろかったけれど。
まだ10時前ではあるけれど、ホテルにチェックイン。今回泊まるのはシェムリアップにあるル・メリディアン。内装も素敵でアメニティも充実。とても素敵なホテルである。日本人スタッフも常駐している。別に英語でやり取りするのもかまわないと思っていたのだけれど、やはり日本語だと楽だ。といってもチェックインの時には日本人スタッフに英語で話しかけられたのだ。最近どこに行っても日本人だとは思われなくなって来ている気がするな。

アンコール・トム、南大門

荷物を部屋においてすぐにアンコールトムへと向かった。SIMの運転はとてものんびりだ。といっても走っている車はどれものんびりだし、彼のタクシーのスピードメーターは壊れていてぴくりとも動かないのでいったいどのくらいのスピードで走っているのかはさっぱりわからない。シェムリアップから20分程度走り、ゲートで3日券一人40ドルを支払ってアンコール・トムの城門へとたどり着いた。
アンコールとは『街』の意味。トムとは『大きな』という意味。つまりアンコール・トムは『大きな街』という意味だ。12世紀末にジャヤバルマン7世によって作られた巨大都市。彼は『建築王』とも呼ばれ、数々の遺跡を残した偉人だという。彼の名前はこの旅で何度も聞くことになる。城門について車を降りたところ、城門をくぐり抜けて象の一群が歩いて来た。奥には巨大な南大門が。高さは25m。その門の上部には長さ3mにもなるクメール・スマイルの四面仏が優しくあたりを見渡している。


城壁は環濠で囲まれていて、環濠には石造りの橋が架かっている。この橋の両側の彫刻も圧巻。これはヒンドゥー教の神話『乳海撹拌』。神々と阿修羅が不老不死の薬を得るために巨大なナーガで海をかき混ぜる模様だ。どこかで見た力士風の阿修羅。お兄ちゃん、とか呼ばれていた人のようだ。

バイヨン寺院

南大門をくぐったところでさっそくたくさんの物売りがやって来た。カンボジアのガイドブックはフィリピンでは手に入らなかったので、ここで買うのも手かもしれないと足を止める。Ancient Angkorという英語の本を一冊買うことにした。8ドル。ぼくが一冊買ったのを見て他の女の子も寄って来た。ロンリー・プラネットのカンボジア版を手にした女の子は最後には『いちドル、いちドル』と大バーゲン。Ancient Angkorにしたってあとで裏を見たら定価28ドルである。一体どういうことだろう。
なにはともあれ、門から再び1km以上車を走らせてアンコールトム中心部にあるバイヨンへと向かった。アンコール遺跡群は想像を超えてとにかく巨大である。森を抜け、車を止めて降りたところには四面仏を配した数多くの塔が目の前に広がっていた。不思議な感覚に包まれる。


一歩、バイヨン遺跡の中へ足を踏み入れるとさっそくアプサラのレリーフが迎えてくれた。アプサラは乳海撹拌の時に生まれた水の精。このようなレリーフがたくさん刻まれていて、しかもひとつひとつ微妙に顔つきやポーズが違う。

壁には女神像。

顔、顔、顔。四面仏の笑顔はどこまでも優しい。四面を向いているのは衆生を救うために四方全てを照らすためだという。ジャヤバルマン7世の願いが込められている。アンコール・トムはタイのアユタヤ朝との戦争のため15世紀に放棄された。その100年後に狩りの途中のアン・チャン1世に『再発見』されるまでこの遺跡は樹木の中に埋もれていたのだという。森の中に浮かぶ四面仏、なんてすごく素敵で想像が膨らむ。


象のテラス、ピミアナカス宮殿、ブラサット・スゥル・プラット、ライ王のテラス

アンコールトムの中は他にも見所が一杯だ。バイヨン寺院から少し北上すると、長さ350mにわたるテラスがある。ここには象のレリーフが生き生きと刻まれている。ぼくの身長をはるかに超える巨大な象たち。いまにも動き出しそうだ。


こちらは王宮内にあるピミアナカス宮殿。この宮殿はバイヨンよりも古く、10世紀末に築かれたピラミッド型宮殿だ。アンコール・トムはジャヤバルマン1世が全て造ったわけではなく、昔からの遺跡を利用する形で造られたそうだ。その昔の王は毎晩ここへと通い、そこにすむ蛇の精と毎夜交わったといわれる。しかし階段は急だ。アンコール遺跡の階段はどれもとても急峻である。神の宿るところへは這いつくばって上がらねばならないという考えに基づくらしい。でも昼だというのに上から降りてくる時には身がすくんだ。日が落ちてからこの階段を上り下りするなんて考えたくない。

象のテラスの上に立つと大きな広場と、そこにならぶ12期の塔。ジャヤバルマン7世による閲兵式はここで行われたと言う。つわものどもも、夢の跡。

そして、ライ王のテラス。高さ6mのテラスには所狭しと神々の像が彫られている。テラス内部のレリーフが見事だ、と後で知った。下調べが不十分であったのもあるけれど、SIMのガイドというのが大して当てにならなかったのもある。というのもガイドとして遺跡の中に入るにはガイド資格が必要だからだ。ガイド資格のない彼は、車の中でざっくりとした説明をしてくれたらそのあとは『さあいってらっしゃい。わたしは車で待っています』というスタイルである。結局翌日からホテルでガイドを手配したのだけれども、やはりガイド付きだと色々なことをしれて面白い。とはいえ、今日は今日で好きに時間を使えて楽しかったのだけれども。

アンコール・ワット

結局アンコール・トムには3時間以上いた。巨大な遺跡はどこも信じられないくらい手がこんでいて素敵で、なかなかその場から離れることが出来ない。2時からの遅い昼食はクメール料理。そのあとでアンコール・ワットに向かった。アンコール・ワットは『寺院の街』の意味。アンコール・トムより少し早い12世紀初頭に30年という年月をかけてスールヤバルマン2世によって建造された巨大なヒンドゥー教寺院である。周囲を幅190mの環濠で囲まれ、須弥山とヒマラヤの霊峰をかたどった5本の尖塔が目を引く。圧巻なのはそのレリーフ。第一回廊のラーマーヤナ物語のレリーフではラーマ王子とサルの軍団が魔王ラーバナの軍勢と戦う様子が数十メートルにわたって細かく描かれている。
アンコール・ワットでも瞬く間に3時間余りが経ってしまった。夕日を受けて輝く尖塔はとても美しい。うまい言葉が見つからないのがもどかしい。










アプサラ・ダンス

夕食は8時から。アンコール・ヴィレッジというホテルでアプサラ・ダンスを見ながらクメール料理。インドネシア・バリ島のガムランに比べると小編成ながら、独特の音階を奏でる木琴と太鼓、歌に合わせながらエキゾチックな踊り。ラーマーヤナの物語だけでなく、土地の若者の恋物語など素朴なダンスも楽しい。
かえりはトゥクトゥクにのってホテルへ。夜風が涼しい。あっという間に、圧倒的な密度の一日が終わって行く。