柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

さよならカンボジア

カンボジア4日目。3日間遺跡を巡り続け、まだまだ遺跡巡りへの情熱も冷めていなかったのだけれどもちょっと目先を変えてみた。今日のコースはアンコール・ワット=>トンレサップ湖の水上の街=>オールド・マーケット=>バンコクへ。途中で出会った子供たちの笑顔がまぶしい。


朝焼けのアンコールワット

カンボジア最後の一日。アンコール・ワットに昇る太陽を見に暗いうちから出発。アンコール遺跡群はみな正面東向きで建設されているのだけれど、アンコール・ワットだけは西向きで建設されている。これを建設したスーリヤヴァルマン2世はこの寺院が西方浄土を向くように立てたのだ。そのため参道から見るとアンコールワットの背後から太陽が昇るという素敵な光景を見ることが出来る。日の出を見たいのは日本人に限らない。朝5時前の真っ暗なアンコールワット遺跡内にはいろいろな国の言葉が飛び交っている。待つこと1時間、空の色が刻一刻と変わっていくさまはとても美しい。


ピラミッドを建設したエジプト人たちと同じく、12世紀のアンコールの人々も正確に東西南北を把握していた。アンコールワットの参道から中央塔へは正確に東西を貫くよう建設されている。今日は太陽がアンコールワットの右手から上がって来たけれども、年に2度だけ、春分の日と秋分の日には太陽が中央の祠堂から昇る。その光景はロウソクをともしたようで、それを見に世界中から人が集まるのだそうだ。いつかその光景をこの目で見てみたい。

トンレサップ湖に浮かぶ水上の街

朝焼けのあと3回目となるアンコールワットを手短に見て回った。何度見ても飽きない。そのあとシェムリアップから一路南、トンレサップ湖へと向かった。トンレサップ湖は東南アジア最大の淡水湖である。この湖は乾季と雨季でその大きさが変わることで知られている。乾季には水深1m程度だが、雨季には水深10m、面積は乾季の3倍へと拡大し、メコン川の流れる向きさえも逆転させるという面白い湖だ。この湖の周りは広大なマングローブで覆われていて、そこには魚が多く住む。だからそこには多くに人が集まる。彼らは湖の上に高床式の家屋を建て、水上生活を行っているのだ。
シェムリアップからトンレサップへはわずか30km程度の道のり。しかし道はかなり悪路だ。いつスタックするかも分からないでこぼこの道を上下に激しく揺られながら湖のほとりへと向かって行く。今はカラカラに乾いて土煙を上げるこの道も雨季になれば水没するのだから道路を整備しようというのは難しい話なのかもしれない。


トンレサップのほとり。海かと見まがう広大な湖のほとりに見渡す限りのマングローブが広がる。

マングローブの林の中をボートで進む。運転してくれている子は13-14歳であろうか。しかしここカンボジアでは彼は立派な稼ぎ手だ。

ボートで進むこと半時間ばかり、水の上に立つ集落が見えて来た。今は乾季の始まったところ。だからすでに水は引き、水面からはるか上のところに家がある。雨季になるとこの家屋ギリギリのところまで水面が上がるのだ。移動はもちろんボート。水上の集落であるにもかかわらず、豚を飼う家畜小屋なんかまであって面白い。


雨季でも浸水しない小島に上陸した。ここには7人の僧侶が守る寺院がある。タイと同じく派手な寺院。しかし、金色に光り輝くタイの寺院とは異なる。カンボジアの貧しさゆえか。
僧侶たちは厳しく戒律を守る生活を続けている。年を取った僧侶はフランス語で話しかけて来た。カンボジアはフランスの支配下にあったから年寄りたちはフランス語をしゃべることが出来るのだ。顔に刻まれた深い深いしわと、笑顔が印象的だった。その後のクメール・ルージュ時代の知識人への弾圧や長い内戦の時代を経て、ようやくやって来た平和だ。彼らはどんな人生を過ごして来たのだろう。クメール・ルージュ文化大革命を見習い、大都市の住民、資本家、技術者、知識階級から一切の財産・身分を剥奪し、農村に強制移住させた。学校、病院および工場も閉鎖し、銀行業務どころか貨幣そのものを廃止し、宗教を禁止し、一切の私財を没収したそうな。
今では学校も存在し、お寺だって存在する。しかし百万人が殺され、飢餓で死んだ4年間のクメール・ルージュ時代とその後の長い内戦で疲弊しきった貧しさからは簡単には抜け出せない。シェムリアップ県には遥か昔偉大なアンコール王朝が栄えたけれども、今だにカンボジアの中でも2番目に貧しい県なのだという。お昼少し前だけれども、だぶだぶの制服を着た子供たちが走り回っていた。カンボジアでは小学校は午前の部か午後の部にわかれていて、小学校に通えるお金のある家庭の子供はそのどちらかに通う。それ以外の時間は農業や漁業、商売など家の手伝いだ。夏休みも繁農期の家の手伝いのため3ヶ月学校は休み。だから6年間の小学校があるといっても、日本のそれとは時間が段違いに少ない。さらに小学校の先生の薄給も大きな問題だ。月に70ドルしか給与がなく、それだけでは生活して行くことが出来ない。そのため先生たちは賄賂か副業でなんとか生計を立てる。テストの問題を生徒に教えてお金をもらったり、授業を放棄してガイドの仕事をしたり。諸外国からの援助で小学校の設備はだんだん整って来ているそうだけれども、肝心の教師への報酬も生徒たちの学力とひいては国力の向上をサポートするには至っていない。ここの小学校は観光ルートに組み込まれているのか授業の中断も頻繁にあるに違いない。訪れた人々は募金をしていき、それは確実に先生や学校の運営の助けにはなるだろうがそれが理想というわけではあるまい。子供たちの笑顔は見たことないほどキラキラ輝いているけれども。ぼくたちの給与からすれば彼らの生活を少し改善するための援助というのはさほど難しいことではないことかもしれない。


シェムリアップ、オールドマーケット

最後にシェムリアップのオールドマーケットで食事をし、少しマーケットの中をぶらぶら。クメール料理は本当においしく、まったく飽きなかった。マーケットはと言うとフィリピンで暮らすぼくたちからすると見慣れた光景に近く、とくに面白いというわけではなかったけれど、フィリピンを知らずに来たらこれはこれで面白かったに違いない。怪しいものもいっぱいだ。


ドラえもん。確かにどちらも猫ではあるが。

トンレサップ湖にはワニが住んでいる。本物なのかどうかは相当に怪しいワニ皮の一頭剥ぎ。手触りはゴムのようだった。

バンコク

これで初めてのカンボジア旅行はおしまい。飛行機でわずか一時間弱かけてお隣の国タイへと戻った。わずかな距離の差だけれども、経済力の差ははかりしれない。