柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

バイヨン遺跡のレリーフにアンコール王朝の繁栄を思う

昨日カンボジアからバンコクへ帰って来たのですが、カンボジアでの連日の強行軍がたたったのか熱を出しました。カンボジアの印象がすさまじく強烈で、魂を抜かれたような気分。今日はホテルの中でぼーっと過ごしていたので、そのかわりに二日目に再訪したバイヨン遺跡の素晴らしいレリーフを紹介します。

バイヨン遺跡は四面仏がとても印象的な遺跡ですが、実は見所は四面仏だけではありません。長い回廊には12世紀アンコール王朝時代の人々の暮らしが生き生きと描かれているのです。アンコール・ワットを始めとするアンコール遺跡の彫刻は神話をモチーフにしたものが多いのですが、ここは全く別。ジャヤバルマン7世が庶民の生活に間で心を配った善王であったことを今に残しています。

戦争編

チャンパ軍との戦いに赴くクメール軍。チャンパ王国は現在のベトナム中部に存在した王国。アンコール朝とチャンパ王国は11世紀以降何度も戦いを繰り返した。

クメール軍には中国人兵士も従軍した。髪を結い、ひげを生やしていることが中国人の特徴として描かれている。クメールの兵士たちとはずいぶん違う服装だ。

当時の戦争は兵士だけが従軍したわけではなかった。長い兵士の隊列の後には、食料を運ぶ牛の列やさらに戦列についていく家族の姿が描かれている。戦争のスタイルも今とはずいぶん違うけれども、子供を肩車する様子は今も昔も変わらない。

重い荷を引いて戦列についていく牛車がスタックした模様。牛は前足を揃えて体重を前方にかけ、人が後ろから押している。なんというリアリティ。

トンレサップ湖の水上戦。ここでクメール軍はチャンパ王国の水軍に大勝した。別の船の上に乗っている人々が同じ船で別方向を向いているようにも見えるけれど、手前に座っている人はクメール軍、奥に立っているのはチャンパ軍。遠近法的な描きかたが存在しなかったのだろうか。トンレサップ湖には多くの魚が泳ぐ。

船から落ちた兵士には残酷な運命が待ち受けている。ただ湖に沈むに留まらず、そこにはワニが待っているのだ。アンコール・ワットのお堀にも昔はワニが住み、城壁を守っていたそうだ。

生活編

隊列の後方には当時の人々の生活の模様が。こちらは木に登って弓で鳥を狙う猟師。

屋根の下で何をしているのであろう。かまどに息を吹き込んで火を燃やしているのだろうか。

穀物を脱穀しているのだろうか。麦か、それともトウモロコシか。

当時のカンボジアには虎が住んでいたようだ。頭は残念ながらかけてしまっているけれど、これは虎に追われて木に登った人。

天秤棒で荷物を担いでいる人。右側の人たちは何をやっているのだろうか。

不幸にも虎からは逃げ出せなかったらしい。虎に首をがぶりと噛まれる人。

今でもこの光景はカンボジアの街で見られるそうだ。耳かきではない。シラミを取っているところ。

こちらは出産の風景だ。これがレリーフに残されるところにキリスト教文明にはないオープンさを感じる。

右側の男性が膝を曲げて左の女性の手を取っている。求婚の様子だと言われているそうだ。800年昔も今も変わらない営み。

トンレサップ湖にて投網で漁をする人。右には巨大な魚、左にはワニ。この漁の風景も今も変わらない。

中国の人々は戦争に参加したのみならず、日常生活にもとけ込んでいた。左側のひとびとは髷を結い、中国風の衣装を身に着けている。右側のカンボジア人は夫婦だろうか、恋人同士だろうか。男性が女性の肩に手を回す様子も生き生きと描かれている。

当時既に市場というものも存在した。そこで商業に精を出すのは中国人。今も昔も華僑のビジネスパワーは変わらない。

料理の模様ももちろん描かれている。豚の丸焼きだ。

娯楽編

こちらは闘鶏の模様。闘鶏は今でもカンボジアで楽しまれる娯楽だ。

今度は闘鶏ならぬ闘豚だ。残念ながら闘豚という文化は今は残っていない。

戦争ではなく、剣術の試合だ。こうして武術の技を磨きあっていた。

将棋か、チェスか。

もちろん夜はお酒を飲んで乾杯。

これは実はごく一部に過ぎない。高さ4mを越えようかという壁に人々の生活が事細かに描かれていて、とても面白いのだ。この壁の前だけでも1時間位軽くたってしまう。中国の歴史と比べてこの地方の歴史を学ぶ機会は少ないけれども、確かに12世紀のカンボジアには一大王国が存在したのだ。今はその繁栄は見る影もないけれども。