柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

いまできること

今日で阪神淡路大震災から15年が経ったという。あのころぼくは片田舎の高校二年生で、テレビの中に映される非現実的な映像にただただ驚いた。大学に入って東京に出た。それからも神戸は新幹線で通過するだけの街で、はじめて神戸を訪れたのはポートアイランドで開かれた分子生物学会に参加した2001年のことだ。そのあと縁あって神戸で暮らすことになり、2003年からは5年余り神戸で暮らした。その頃にはもう直接目に見える震災の傷跡というようなものはもうほとんどなくって、近所の公園の慰霊碑や六甲の山をマウンテンバイクで走る時に立ち入り禁止になったマンションを見てその面影を感じるぐらいだった。あれから15年。ようやく再び映るようになったNHKでは15年目の追悼をやっていた。復興後しか知らないぼくにとって神戸というのはとてもとても素敵な街で、人々の悲しみを日々の生活で感じることはなかったけれども、外から来たぼくには分からない、15年経ってなお残る色々な思いがあふれている。
連日CNNではハイチの模様をずっと放送している。いまは海外で暮らすようになったこともあって、『外国』というものが少し身近な物になった。たまたまTwitterでフォローしていた人がCAREというアメリカのNGOのアンバサダーを務めるトライアスリートだったこともあって、彼らがものすごい葛藤の上それを上回る熱意を持ってハイチの救援に向かっていることも知った。ハイチは地球の裏だし、行って何が出来るわけでもない。でも高校生だった阪神淡路大震災の時とは違って今は自分で自由になるお金もあるし、インターネットだってある。教えてもらったアメリカ赤十字のサイトで募金をした。CNNではヘリコプターから投下される救援物資を奪い合う人々の様子が映し出されている。少しでも多くの救援物資が届けば良い。

写真は2007年、芦屋川沿いで。