柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

断捨離事始め

先日日本に帰った時に妹から『断捨離』なる言葉を聞いた。発音は『ダンシャリ』。一部ではやっているらしいけれど、しばらく日本を離れているからか全く初耳。なんだか怪しげな響きだ。妹曰く、『今の自分とモノとの関係性に注目し、関係性がないものはどんどん捨てる。これで気持ちもすっきり』だそうな。関係性。何のことだか分からん。
なんとなく気になっていたところ、日本から中国に再び戻ってくる前にコンビニでダンシャリ特集の雑誌が目に入ったので買ってみた。成田までのバスの中読んでいたのだけれども、なんだか面白い視点がいっぱいだ。少しあげると、

  • 『ものを片付ける』ことと『ものを収納する』ことは異なる活動。片付けは収納の前段階。
  • 『片付け』とは選択。必要のないものをそもそも持たないようにする。
  • 選択の基準として、過去や、いつ来るか分からない未来ではなくって『今』に着目する。『高かったからもったいない』や『いつかまた使うかも』という執着を捨てる。
  • モノから自分に主語を移す。『これは使える』ではなく、『今の自分にふさわしいか』
  • モノを選択し、捨てていく過程で自分の価値観・基準をクリアにし、次に無駄なものを買わなくなる。

考えてみたら、日本に住んでいた時には常に収納に困り、棚を買ったり箱を買ったりしてどうしまうのかに四苦八苦してたものだった。家に帰って部屋の中を見渡してみると5年、10年後生大事にとっておいたつもりがその存在すら忘れていたガラクタにあふれていることに気付く。大量の電化製品の箱類なんて、『いつか修理に出す時便利』『引っ越しのとき便利』なんて理由を付けてきたけれど本当に無駄でしかない。履いていない靴、来ていない服、なんとなく気に入らないのに使い続けているもの、二度と見直したことのない大量の書類。数回の引っ越しでずいぶん身軽になったつもりだったけれども、全くそんな事ない。
休日を使ってひとりモノを捨て続けた。これまでありがとうと心の中で呟きながらどんどん決めていく。決めることで心にたまった澱がどんどんと排出されていく。これはいい。仕事上の意思決定を素早くし、『選択と集中』のマインドを養う訓練にもなるな、なんてね。