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柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul

ランス・アームストロングの告白

Business 課題 Organization

サイクリングニュースにランス・アームストロングのインタビューが乗っていた。*1ぼくは彼のファンではなかったけれども、それでも癌から復活してあれだけの強さを見せた彼のことはものすごい人だと思っていた。2003年のツール。コースを外れてしまって畑の中をロードバイクで突っ切って行った姿は、勝利に対する飽くなき情熱を感じさせるとても印象的なものだった。傲慢な雰囲気を漂わせてはいて好きではなかったけれど、あの強さは全てを可能にしていた。
今回の告白に関しては正直なところ本当に残念だ。彼のツール7連覇という前人未到の偉業はドーピングの賜物だったなんてね。ただ視点を変えて今回のインタビューをみていると、とても面白い。内部統制の世界では不正が行われやすくなる三つの理由がよくあげられる。不正を犯す『動機や目標達成のためのプレッシャー』があり、そのための『機会』が目の前にあって、『自己正当化』することによってやってはならないことをやってしまうのである。彼のインタビューはそのケーススタディーのようだ。

動機や目標達成のためのプレッシャー

「ただ勝ちたかっただけ、病気の治療の時にそもそも使ったことで、その味をしめてしまい、後はもう流れだった。癖になり離れることができなくなってしまった。ほとんど中毒状態だった。ドーピングと勝利はワンセットになっていたんだ。」

機会

USポスタルのシステムのみならず、どのチームも当たり前のようにドーピングを行なってきた裏にはUCIのテストがザル出会ったことを語った。「UCIのテスト項目は少なく、そしてきっちりとスケジュール管理さえすれば誰にでもテストをかいくぐることは出来た。このスケジュール管理もチームの仕事の一環となっていた。ドーピングをしてもレース時には引っかからないように設定することが”健康管理”となっていた。」と語り、UCIがいかにドーピング問題に力を入れていなかった、もしくは黙認していたのかがはっきりと感じられた。

エマ・オ・ライリーが証言した「コルチゾンの処方日時改ざん」に関しては、アームストロングは全面的にその罪を認めた。癌からの治療薬として必要だったかのごとく日時を改ざんして、使用していたことを認めた。

自己正当化

当時はそれが風潮であり、それが禁止されていることでありながらもいけないことをしているという認識は全くなかった、それが当たり前だった。」との言葉には、いかに多くの選手が日常的にドーピングをしてきたかということが感じられた。「ドーピング抜きには7連覇は不可能だった。」とも語り、ドーピングは勝つための手段だったことを強調した。

「当時の基準で言えばテストは通ったわけだし、当時のルールで言えばドーピングには該当しなかった。」

「ドーピングをして勝つことはわかっていた。だんだんと勝つこと自体よりも、勝利までのプロセス自体が喜びとなっていった。ずるをしているとも思わなかったし、禁止薬物を使うことにも抵抗もなかったし、とにかく悪いことをしていたという認識は当時は微塵もなかった。今考えるととそのことが一番恐ろしい。」


一度このトライアングルが出来上がって不正に手を染めてしまうと、一気にそれに対する障壁が下がりずるずると続けてしまう。人間には自己一貫性があって、過去の不正を自ら認めることはとても難しい。不正によってのし上がった人間が組織の長に立つと、さらに害悪は大きくなる。『みんながやっているから』というのはよくある自己正当化だけれども、『上司がやってきたから』というのはより強力である。下の人間がおかしいと思っても、それを不正だと声を上げることはとても難しいし声を上げても組織長につぶされてしまうかもしれない。
彼が君臨したUSポスタルでは無言のプレッシャーにより他の選手にも勝つためにドーピングをすることが求められて行く。不正を犯してリーダーの地位に就いた人間は、積極的に部下やチームメイトに不正を求める必要はない。ただ暗黙のプレッシャーをかけることにより自分の思うように組織を動かし、いざなにかが発覚しても『私は指示をしていない』と部下のことを切り捨てることだって可能だ。*2

当時のチーム内でも絶対的権力と権限を握っていたとされるアームストロング、他の選手へのドーピングの強要や、それを拒否した人間への解雇などをしたことがあるかとの問いには、「それはなかった。」と答えた。しかしながら当時チームメイトであったクリスチャン・ヴァンデ・ヴェルデ(ガーミン・シャープ)は使用をしなければならない状況に追い込まれた、と証言しており、アームストロングも「”暗黙の圧力”があったことは否定しない。」と語った。チームのまとめ役だったはずが、いつの間にか”お山の大将”となり、チームに強さを求めれば求めるほどすべてを仕切るようになった事を認めた。そして勝つためには手段を選ばず、それがもう当たり前に”仕事”となってしまい、ドーピングに何の抵抗も無くなった事を淡々と語った。

ツールの歴史はドービングの歴史といってしまってもいいぐらい、数々の名選手達がドーピング疑惑に塗れている。検査技術の進歩と、あたらしいドーピング手法の開発はある意味いたちごっこである。この世の中から改革というものがなくなることがないのは何を改革しようともすぐにその抜け穴をつく手法を生む人間が出てくるからだ。ラインから離れた独立した強い監査組織というのは組織のsustainabiltyのためには欠かせない役割を持つのだなと思った次第。

「昔に戻れるのであれば戻りたい、そうしたら二度とドーピングなどしない、後悔することばかりだ。」

昔には戻れない。だから将来後悔することのないよう、日々誠実に生きていきたい。

*1:[http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=19653:title]

*2:このあたりのエピソードはリーダーシップの教訓としてもとても興味深い。リーダーには高潔であることがなによりも求められるのだと思う。最初はちょっとした綻びだったものが大きな穴につながることも大いにあろう。日々の小さな意思決定を含めて、常にプリンシプルに基づいた意思決定をすることが結果的にはリーダーとしての心性の鍛錬にもなるし、ひいてはそれが尊敬を勝ち得るための最善の方法になるのだと思う