柿の種中毒治療日記

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『風立ちぬ』を見てきた

風立ちぬ サウンドトラック

話題のジブリ映画、『風立ちぬ』を見に、ひとり日曜日のレイトショーに行ってきた*1

なんだか夢を見てるみたいだった。夢からはじまり、夢で終わる物語だからなのかもしれないけれど、奇妙な具合に現実感がない。かといってファンタジックな感じでもない。フワフワした感じである。

『科学技術そのものが悪いわけではなく、それを使う側の問題だ』というのは事実だと思うけれども、主人公が全てに優先して作った物が『出撃したものは誰も帰って来なかった』零戦だというのは残酷な話だ。

美しくせつない純愛物語ととらえるのも、独りよがりな気がする。主人公は本当にヒロインのことを大切に思っていたのだろうか?当時結核はほぼ不治の病だったから最終的な結末は同じだったにしても、自分の飛行機作りのためには街を離れてサナトリウムで彼女と時を過ごすことは出来ないという主人公。夢を追い仕事に生きる男と、それを支えるはかなく美しい女性というのが昭和の男女観なんだとしたら、そういう世代の人たちからすると自然なことかもしれないけれど、どうにもアナクロニズム


結果的に戦闘機作りに心血を注ぐ主人公。葛藤はあれど、自分の夢はあくまで愛する人を上回る。結局のところ、自分の作り上げるものがどう使われるのか、自分の行動が他人にどう影響するのかということに対して無自覚で無邪気、よくも悪くも子供っぽい人なのではないか。

『人生の目的は歴史に名を残し、そのためにはすべて犠牲にしても良い』という一つの考え方と、『歴史の中に埋没する名のない一庶民だったとしても、家族や愛する人と幸せに生きることが最高』だという相対する考え方があろう。ヒロインがこの世を去って行くのは彼の夢の中で再現されるだけであり、その夢の中で最後に出てくるのはヒロインではなくイタリアの飛行技師だ。彼にとってはやはり一番大切なのは自分の夢である飛行機であり、その他のものはそれに付随する飾りに過ぎないといったら言い過ぎか。ぼくはどちらかというと後者なのでそこらへんに違和感があるのかもしれない。

賛否両論わかれるのもうなずける。こう書いてみると自分は否定派のような気がしてくるけれど、それでも2時間見ている中で美しいシーンだなと思ったシーンも多々あって、単純に嫌いというわけでもない。二度、三度みればより深く理解できるのだろうか。

*1:フィリピン生活時代には夫婦二人でしょっちゅう映画館に行っていたけれど、中国に移ってから一度も映画館に行ったことが無いので3年ぶり。