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柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul

ずる-嘘とごまかしの行動経済学

シンガポール行き帰りの飛行機の中では読書。どの本も面白かった。特に、ダン・アリエリー著『ずる-嘘とごまかしの行動経済学』。人がずるをするのは合理的な損得計算に基づくというよりも、それ以外の一見非合理的とも思われる理由に基づくという事を様々な実験により筋道立てて論証して行く本。内部統制に携わる人なら一読の価値あり。自分の仕事にも生かせるであろうところが多々あった。

一般的に受け入れられている犯罪モデルの一つとして、SMORC (Simple Model of Rational Crime. シンプルな合理的犯罪モデル)という一つの仮説がある。これによると、人は単純に不正に手を染める事によるリターンとそのコスト(発覚したばあいの代償とその確率)を天秤にかけて不正を犯す。なので、リターンが大きければ大きいほど不正が増え、発覚のリスクが少ないほど不正が増えるという事になる。ただ、現実はそんなに単純ではないというのが本書の主張。

大筋としては、不正には心理的な要因が大きく関わっていて、多くの場合自分自身に対する肯定的なイメージに反するような不正は出来ないけれど、それを正当化させてくれるさまざまな要因があると不正に手を染めやすくなるということだ。いくつか面白い実験例がある。


リターンが多くなるのに、不正が減るケースがある

SMORC仮説に基づくと、不正によって得られるリターンが大きいほど不正が増えるということになる。ただ、実際には正解の数によって報酬が変わるテストで、一問あたり得られる報酬を変えてもごまかしを行う件数は変わらない。それどころか、得られる報酬が増えすぎると、ずるの件数が減る。これはごまかしをしながら自分が正直者であるという肯定的なイメージを維持できなくなるからだと考えられる。もちろんこれは大多数の人間に当てはまるケースであり、リターンが多くなることで『一部の』悪人を引きつけるリスクが高くなることもあろう。


見つかる確率は思ったほどの影響を及ばさない

わたしたちは「そこそこ正直な人間」という自己イメージを保てる水準まで、ごまかしをするのだ。

わたしたちの驚くべき「認知的柔軟性」のおかげで、わたしたちはほんのちょっとだけごまかしをする分には、ごまかしから利益を得ながら、自分をすばらしい人物だと思い続けることができるのだ。この両者のバランスをとろうとする行為こそが、自分を正当化するプロセスであり、わたしたちが「つじつま合わせ仮説」と名付けたものの根幹なのだ

SMORC仮説に基づくと、不正が発覚するリスクが少ないほど不正が増えるということになる。ただ、実際には発覚のリスクを変えてテストを行っても、不正の件数は有意には変わらない。印象的な実験として、目の不自由な教官がテスト監督をやった場合にもごまかしの量は目が見える教官がテスト監督をやった場合と変わらなかった。



一方でSMORCに従えば起こり得ない様々な違いが心理的誘引によって引き起こされていることも示されている。

不正行為との心理的距離が離れるほど、不正が起こりやすくなる

自分の行動が不正行為の実行から離れているときや、わかりにくいとき、また正当化しやすいとき、(人々は)不正をしやすいと感じる

現金を盗むことは、明らかに不正行為・犯罪行為である。そこで、報酬を現金ではなくトークン(代用硬貨。カジノでのチップや、パチンコの景品みたいなもの)にかえてみる。すると、現金と比べてトークンで報酬をもらえるグループの方がごまかしの量が倍増する。オフィスで現金を盗むことは無くても、鉛筆やボールペンを『失敬する』ことが起こりがちなのは同じような心理的な仕組みによるものらしい。



誓約により不正を減らすことができる

事前の宣誓・署名をさせることにより、不正が減る。保険の申請書面などで、書面下部に記入した内容の正確性を署名させる欄があるのが普通だが、これでは不正は減らない。ただし、書面のヘッダーに当たる部分で正確性を保証するよう署名させると、不正な申請が減る。また、テストを受ける学生に受ける直前に倫理規定に署名をさせると不正率が減る。ただし、倫理規定の存在は永続的な効果をもたらす訳ではなく、その都度必要である。


互恵性と利益相反が不正を引き起こす

互恵性とは人に恩義を受けたら、自分もあいてに恩義を返さなければならないと考える心理のこと。人間は無意識的に恩義を返そうという傾向がある。例えば、ある実験でふたつの画廊の所有する絵画を評価してもらうと被験者に伝え、一つのグループには一方の画廊が実験への参加報酬を提供してくれたと伝える。もう一つのグループには他方の画廊が報酬を提供してくれたと伝える。絵の隅にはそれぞれの画廊のロゴが小さく入っている。すると、二つのグループはどちらもそれぞれのグループのスポンサー画廊の絵により評価的な効果を下す。被験者は意識的には平等・公正な判断をしていると信じているものの、脳モニターでもスポンサー画廊の絵に対してより喜びを司る部分が刺激されているのが確認できる。
この『恩義を返したい』という欲求を利用して、利益相反を生み出すことができる。接待というのは基本的にこの気持ちを利用したもので、接待されることによって意識的・無意識的を問わず合理的にはとらないであろうオプションをとることがある。


単なる疲れにより正しい判断を放棄する

何かで頭がいっぱいになっていると、誘惑に抵抗する認知的余裕がなくなって、誘惑に屈しやすくなる。誘惑に抵抗するには大変な努力とエネルギーが必要である。この意思力は繰り返し使われるうちに消耗してしまい、いつかある時点で誘惑に屈してしまう。面白い実例として、刑務所からの仮釈放の審査通過率がの事例が知られている。仮釈放審査を行う判事は、朝一番もしくは昼の休憩直後の審問で仮釈放を許可する確率が最も高い。判事にとってもっともたやすい標準的な決定は仮釈放を認めないということである。朝・昼一番のエネルギーのある時間帯では、標準的な決定を覆しより難しい決定を行えるが、一日のうちに多くの困難な決定を繰り返すに連れてより標準的な決定(仮釈放はしない!)を選ぶようになる*1。同様に、様々な実験によって消耗した被験者の方が消耗していない被験者に比べてごまかしをする量が多くなることが示されている。


偽造品を身につけると不正に対する道徳心が下がる

偽物を身につけるとごまかしをする量が増える。これには自己シグナリングという機能が関係している。自己シグナリングとは自分の行動によって自分を評価するというフィードバックサイクルのこと。

(道ばたで物乞いをする人にサンドイッチを買ってあげたとして)この行動自体があなたの人となりや道徳観、性格などを決める訳ではないが、あなたは自分の行いを、自分が思いやりのある寛大な性格の持ち主である証拠として解釈する。そしてこの「新しい」情報を得たあなたは、自分が情け深い人間だと、前よりいっそう強く信じるようになる。これが自己シグナリングの働きだ。

『偽物を身につける』ということにはマイナスのシグナリング効果があることが実験で示されている。女子学生を3グループにわけ、一つのグループには本物のブランドものを渡すと伝える。もう一つのグループには『本物そっくりの偽物だ』と伝える。そして最後のグループには真偽どちらか伝えない。なお、どのグループに渡したものも全て本物である。結果はというと、『偽物だ』と伝えられたグループはテストで不正をする人数が倍増した。*2。また、『にせもの』を身につけた人々は他人の対する見方も変わる。つまり、自分自身が不正直な行動をとるようになるだけでなく、他人のこともあまり正直でないと見なすようになるという結果も出ている。

いったん自分の規範を破るようになると、自分の行動を押さえようという努力をずっと放棄しやすくなる。そしてそれ以降、さらに不品行なことをする誘惑に、とても屈しやすくなるのだ。

初めての不正行為は、その後の自分自身や自分の行動に対する見方を形成する上で、特に大きな意味を持つ。だからこそ、最も阻止すべきは最初の不正行為なのだ。一見無害に思われる、単発の不正行為の数を減らすことこそが重要だ。


ここにとりあえずまとめたのはごく一部。それ以外にも自己欺瞞(Self profecy。自分で思い込むことにより、正当化する)、創造性と不正(クリエイティブな職種の人間ほど不正を犯す確率が高い)、不正の社会的側面(不正がグループ内で行われるのを目撃すると多くの構成員がその不正を同様に行い始める)などなど、とても興味深い話題が詰まっている。また、利益相反に関してはかなりのページが割かれて詳述されている。

ここ最近内部統制に関わっている時間が非常に増えている。こういう理論を学ぶことで、より効果的な対策を練れるようになんどか読み直そうと思う。


ずる―嘘とごまかしの行動経済学

ずる―嘘とごまかしの行動経済学

もう一冊飛行機の中で読んだ本。このなかにも「おはなし」の効用と危険性のはなしがでてくる。一つの危険性として、おはなしが一人歩きを始め、自分がその嘘を信じ込んでいく自己欺瞞の話が出てくる。

おはなし おはなし (朝日文芸文庫)

おはなし おはなし (朝日文芸文庫)

*1:この話は、ノーベル経済学賞を受賞した行動ファイナンス理論及びプロスペクト理論で知られるダニエル・カーネマンの著作『ファスト&スロウ』でも紹介されている。分厚い本で、現在上巻半分いったところでペンディング中

*2:面白いことに、『本物だ』と伝えられたグループと真偽どちらか伝えられなかったグループの間の不正率の間には統計的な有意差はなかった。つまり、本物を持つという自己認識により道徳心が大幅に強化されることはない。