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柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul

ハンニバル戦記 - ローマ人の物語 II

日曜日。出張中に読み始めたハンニバル戦記を読了。夢中になって読んでしまった。こんな面白い本をいままで読まずにいたのがもったいないとも思うけれど、いまこうして読めたことは良かった。Kindleでハイライトしたメモだけでもかなりの量。戦略・リーダーシップ・組織設計と評価指標などなど、ビジネスの場でも役に立つね。

特に面白かったのがローマ人の将に対する処遇と信賞必罰の考え方。ローマ人は執政官に対してその任期中、全権を委任し外野は口を出さなかった。そして、敗将に対する処遇も違う。対決するカルタゴ政府は敗将の責任を追及して死罪に処したのに対し、ローマ政府は敗軍の将を処罰することはなかった。それどころか、敗軍の将に再び指揮をゆだねさえした。

敵方の捕虜になった者や事故の責任者に再び指揮をゆだねるのは名誉挽回の機会を与えてやろうという温情ではない、失策を犯したのだから、学んだにもちがいない、というのであったというから面白い。

これは、マキアヴェッリが賞賛を惜しまなかった点だが、共和政ローマでは、軍の総司令官でもある執政官に対し、いったん任務を与えて送り出した後は、元老院さえも何一つ指令を与えないし、作戦上の口出しもしないのが決まりだった。任地での戦略も作戦の立案も、完全に執政官に一任されていた。敗北の責任を問わないのも、心置きなく任務に専念してもらうためでもある。

ローマ軍団の百人隊長は、単なる下士官ではなかった。それどころか、ローマ軍団の背骨と思われていたのは、上級指揮官である将官ではなく、下級指揮官の百人隊長であった
(中略)
最高司令官の武将としての能力は、百人隊長をどれだけ駆使できるかで決まったという。

ローマ軍の軍規の厳しさは、毎夜律儀に宿営地を築くこと以上に有名だったのである。夜間の歩哨勤務中に眠り込んだりして任務を怠った兵士には、事実上の死刑が待っていた。
(中略)
しかし、ローマ軍の軍規は厳しいことで知られていたが、公正に実施されることでも有名だった。自分の息子を処刑させた執政官の話は、末永く語り伝えられたのである。

ローマを恐怖のどん底にたたき落としたカルタゴの将軍ハンニバルは自身が天才ではあったけれども、ハンニバルに続くものたちを生み出すことができず、彼のいないところで勝つことはむずかしかった。それに対してローマはより多くの人材を輩出し、貴族・平民にこだわらず被征服先の人材さえも活用した。こういうシステマティックな努力がローマを強大なものとしたのだろう。