柿の種中毒治療日記

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『レッド 1969~1972』を読んだ

はてブをたくさん集めていたセックス・暴力・革命 連合赤軍事件で15人はなぜ殺されたのか? 『レッド 1969~1972』 - マンガHONZという記事を読んで、飛行機の中、Kindleで『レッド』の1-8巻を読んでみた。

ぼくには世代的にも連合赤軍に関する知識はほとんどない。左翼にも右翼にも興味はない。でも、もう20年近く前、大学に入ったばかりのあのころを少し思い出す。その数年後に潰された学生寮には左翼の残光のようなものが少しだけ残っていた。一度だけ学生委員会に出席する羽目になった時に、『ナンセンス』と叫ぶ時代錯誤の学生を見て辟易した。やたら小難しい言葉を並べて話をし、沢山の立て看板で色んな主張をしている割に結局のところなにをしたいのかさっぱりわからない集団。それが当時の僕の感想。

さて、このレッドという話はまだ完結していないので、結論を出すにはまだ早いけれど、もうすでに息が詰まりそうな緊張感に満ちていて、この先が怖い。しかし、なんだか既視感があるのだ。頭でっかちで地に足がついていない。他者を受け入れられない不寛容。難解にして実は空虚な言葉と理屈ばかりが先走る。自己正当化に自己保身。そしてその果てに一線を越えて先鋭化していく。

『大衆』と自分たちを切り離し、街を離れて『山へ入る』という決定を下したことで、周囲から孤立した集団はコントロールをどんどん失っていき、8巻ではいよいよ集団リンチが始まる。『総括』の名の下に涙を流しながらリンチを加えるところなんて、狂信的だ。その際のリーダー北という男の言葉が醜い。

殴ることは総括を促すための『同士的援助』である。殴ることによって我々は高い地平に至った

殴ることにより気絶しなかったこのこと自体総括できていないあらわれだ。共産主義化の必要を理解し指導部を信頼していれば殴られても自分をかばおうとしないから気絶するが、そうでないと自分をかばおうとするから気絶しないのだ

伊吹の死は総括できなかった者の敗北死だ。精神が敗北し肉体的な敗北へと繋がっていったのだ。もっと頑張る精神があれば死ななかった。革命戦争の厳しい地平ではそういう頑張る精神が必要なのだ。本気で革命戦士になろうとすれば死ぬはずがない。革命戦士の敗北は死を意味している。

人の上に立ち、リンチを主導していくこの男はとかく『理論』を振りかざす。しかしこの男の言葉こそが一番空虚だ。人の弱いところを責め、『総括』・『自己批判』を求める北。しかしこの男もまた誰よりも弱い。もう一方の集団を率いるリーダー赤城の顔色を実はうかがい、暴力をエスカレートさせることで相手より優位に立とうとする哀れなボスだ。周りの人間が逃げ出さないか、猜疑心で一杯だ。(この男は逮捕後、自殺する。結局のところこの男こそ逃げた)。

と同時にまた周りの人間も自分がボスによる攻撃の対象になるのを恐れてか、それともそういう浅い理屈と言葉に同調してか、自分もまた攻撃側に加わる。人を殴るのに涙を流し、『がんばれ』などといいながら相手を殴り続ける。しかし、そうして仲間にリンチを加える者の中にも、この先今度は自分がリンチにあって死ぬことになる人たちもいるのだ。


ではなぜ既視感を感じたのか。これは左翼がどうこうという問題ではなさそうだ。左翼・右翼・軍国主義・カルト・ブラック企業。信じるものの方向はどうあれ、極端に走ると同じようなことを口走り始めるらしい。この男が仮に日本陸軍の司令部にいたとしたらやはり精神主義・玉砕主義を振りかざしていただろうし、カルトに入信していたらこんどはタントラヴァジラヤーナだったり聖戦の名の下に暴力を振るっていたことだろう。ブラック企業で働いていたならこう言っていたに違いない。

『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。 途中で止めてしまうから無理になるんですよ。止めさせないんです。鼻血を出そうがブッ倒れようが、 とにかく一週間全力でやらせる。そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えないでしょう。無理じゃなかったって事です。実際に一週間もやったのだから。 『無理』という言葉は嘘だった。


人間のある一面を知るにはいい本である。でもこれがある一面に過ぎないことももう知っているし、こういう風にならずにすむようないろいろな経験も積んで来た。


約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

1Q84 BOOK 1

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