柿の種中毒治療日記

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「そうだったのか!朝鮮半島」に学ぶ独裁と民主主義、親日と反日

12月に帰国した際に買った池上彰さんによる「そうだったのか!朝鮮半島」を読了。1945年の太平洋戦争終戦から現在に至るまでの南北朝鮮の歴史が紐解かれている。大判200ページ程度なのですぐに読めるだろうと思ったけれども、これが大間違い。近現代史は一人の人が色々な場所で出てきたりするし日付を含めた前後関係がややこしく、ノートを片手に人物の相関図を書き留めたり物事の順序を整理したり。先週末の土日はずっと読みふけっていた。とても密度の濃い好著だ。

そうだったのか! 朝鮮半島 (そうだったのか! シリーズ)

そうだったのか! 朝鮮半島 (そうだったのか! シリーズ)

権力支持基盤理論

最近並行して「独裁者のためのハンドブック」という政治学のテキストを読んでいるのだけれども、そこで紹介されている「権力支持基盤理論」(Selectorate Theory)という理論を念頭に韓国の各政権の政策をみていくと大変興味深いのでちょっと前置き。この理論は、『政治の本質は一言で言えば、あるものが権力の座を目指し、そして手に入れた権力を長く維持すること』という身も蓋もない定義からスタートする。その上で、『一人で国家や組織を支配できる独裁者はいないという前提に立って、独裁者の支配を支える人々を3つの層に分類する』。

まずその底辺の層が「名目的有権者」。この層に属する人は支配者を選出する制度上の権利が認めれられているものの、その権利は名目的なものに過ぎない。だから独裁者からみると無視しても脅威とならない。一般の国民はここにあたる。

第二の層が独裁者の権力掌握とその後の支配に実質的な「影響力のあるもの」。独裁者はこの集団に対しては配慮し、この層の好む政策を選択せざるを得ない。選挙で当選した候補者に投票した有権者や、与党党員・有力支持団体・軍などがここに入る。

最上位にあるのが独裁者の「盟友」。盟友たちの支持なくしては独裁者の支配は成り立たないため、独裁者はこの層を最も大切にしなければならない。彼らは独裁者を失脚させる力を持っているし、逆に独裁者に取って代わる恐れがあると目された場合独裁者に粛清されるリスクも負っている少数の集団だ。この集団は固定的ではなく、「盟友」と「影響力のあるもの」のあいだで、「影響力のあるもの」から取り立てられて盟友の仲間入りしたり、逆に盟友から追放されたりといったことも起こる。

面白いのが、盟友集団のサイズが支配者のとれる方針を規定していくということだ。盟友集団が小さい場合には、独裁者は彼らに対して見返りを与えることで権力基盤を安定させることができる。そのため、一般大衆に考慮する必要はない。一方、盟友集団が大きい場合には、彼らの望む政策を実現することでその支持をつなぎとめなければいけない。そのために、小さな盟友集団を頼みとする支配者は「専制的な」支配に傾き、大きな盟友集団を頼みとする支配者はより「民主的な」支配に傾く。韓国の歴史をこの理論に従って見ていくと大変興味深い。韓国では時の大統領が憲法や選挙制度を自分の政権の存続に有利なようになんども変えていった歴史があるのだ。

独裁者のためのハンドブック (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

独裁者のためのハンドブック (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

李承晩政権-「親日派」との綱引きと「建国神話」

1945年の終戦後、米軍軍政庁は日本人の引き上げを実行、1946年には日本人の残留を禁じる布告を発令した。日本人を追い出し、日本の影響力の残滓を一掃しようとしたのだ。

しかし、それと同時に朝鮮総督府の統治機構を存続させ、朝鮮人の役人たちのほとんどは留任させた。とくに軍・警察は元日本軍出身者が多くを占め、李承晩に政治資金を提供する財界人も日本統治時代に富を蓄えた人々であった。李承晩自身は大の日本嫌いであったにもかかわらず、彼を支える「影響力のあるもの」や「盟友」集団は旧体制を支えた勢力だったのだ。しかし、それでは旧体制を支えた親日派の一掃を求める世論に応えられない。この世論に応え、国民に対する支持を作り上げるには「日本と戦って祖国を建国した」という正統性の主張は必須だった。これは憲法の前文におさめられ、教科書にも載ってこのあとずっと教育されていくことになる*1

李承晩はその後、独裁政権を作り上げる。ライバルを暗殺し、自分に反対する国会議員を逮捕し、大統領の多選規制を撤廃した。しかし12年間の独裁ののち、最後には民主化デモを抑えきれず、軍とアメリカにも見放されて亡命することになった。このへんも政治学の話として大変面白い。ぜひ本書をあたってください。

1961-1987 朴正熙大統領-全斗煥大統領による軍事独裁時代

さて、独裁政権は少数の盟友集団を頼みにしていれば良いので、大衆迎合的な政策をとる必要はない。韓国第5-9代大統領である朴正熙がいい例だ(といっても第1−3代大統領李承晩のあとの2代は短命なので、実質的には二人目の長期独裁者)。

朴正熙は1961年の軍事クーデターで政権を掌握した。これは軍と、そしておそらくアメリカにも支持されていた。朴政権は徹底した反共主義で「反共法」を制定、思想信条の自由を認めなかった。また日韓基本条約の締結に踏み切った際には国民の反対を弾圧によって抑えた。彼は実利主義者だったのだろう。日韓基本条約で、韓国は日本から10年間に渡り計3億ドルの無償供与を受け、さらに2億ドルの低金利での貸し出しを引き出した。それ以外にも日本の民間企業から計3億ドルの資金協力をうけることが決まり、これら資金により朴大統領は韓国経済を飛躍的に発展させたのだ。大多数の国民を経済成長によって味方につけ、国民投票で圧倒的な支持を得てそれまでの憲法では認められていなかった三選を認めさせた。

こうしてさらに政権基盤を強くすると、今度は憲法を改正。国民による直接選挙を廃止することで国民を実質的な力のない「名目有権者」に戻し、さらに大統領の選出権限を持つことを定めて新たに設置した統一主体国民会議のメンバーに野党議員を置かせないことを決めた。「盟友集団」の数を小さくするためだ。また大統領の再選禁止規定を削除、独裁体制を強めていった。そして結局、18年間という長期間の独裁を続けた。1979年に今度は自分の部下にクーデターを起こされ、朴大統領は射殺されてしまったけれども、彼の権力掌握術はものすごい。

その後を引き継いだ全政権も軍事独裁政権を継続。1980年には政治活動の停止や言論・出版・放送などの事前検閲、大学の休校などを盛り込んだ戒厳布告を発表。これに対する大規模な抗議行動が起こった光州市に軍隊が戦車を投入し、殺害した市民は2000人に達したのだそうだ。さらにこの事件後、全斗煥はさらに軍事独裁色を強めていった。独裁者は権力基盤に大多数の国民を置かないので、国民の支持を得る必要がない。そのため、国民に対して圧政を敷くことは容易なのだ。

1987-現在 民主化

その後1987年にようやく韓国は民主化。全政権は8年間の独裁を終えた。1987年というと、わずか四半世紀前の出来事。これで国民は言論の自由を取り戻し、ようやく圧政から解放された。これは国民にとっては当然素晴らしいことだ。ぼくだって、圧政のもとで生きるよりも民主的な体制下で自由に生きたい。

と同時に、政治家にとって民主化とはすなわち、権力を握るために大多数の国民の支持を必要とすることを意味する。経済が好調な時には国民の不満は少ない。「親日派」などといわれた朴正煕も経済の立て直しで国民の支持を得た。しかし、経済が不調に陥ったり格差拡大が進むと、その不満の矛先をどこか他のところに向けることで大多数の国民の支持を得なければならない。そういう意味で、「反日」というのは政権維持にとって大変都合のいい方針なのだ。

2002年に大統領となった盧武鉉大統領。盧武鉉大統領はそもそも党内基盤がほとんどない泡沫候補だった。従来の有力政治家とのつながりが非常に弱かったのだ。彼はインターネット時代の追い風を受けて若者の支持を受けて当選した大統領だった。*2彼は実は就任時に、日本と「未来志向」で行こうと語っている。しかし、支持率が低下するとともに反日政策に舵を切って国民の支持を得ようとした。いや、もともと与党幹部や軍などの少数の有力な「盟友集団」に依拠できない構造だったからこそそうせざるを得なかったというのが実情であろう。

これは次の大統領であった李明博大統領政権でも同じだった。彼は前任者とは真逆で北朝鮮に対する太陽政策は停止、さらにアメリカ・日本との関係を強化する方針で政権運営を始めた。彼自身は反日志向だったけれども、政治家としては実利重視で日韓関係の改善に取り組んだのだ。しかし、米国産牛肉問題で支持率を急激におとし、さらに憲法裁判所によって韓国政府が慰安婦問題にとりくまないことを憲法違反だとされてしまった。そうなってしまうと政治家として彼がとれる道は限られてくる。結局、前任者と同じく反日政策に舵を切ったのだ。

これは別に韓国に限った話ではなく、どこだって変わらない。景気の後退局面では保護貿易主義的な色合いが強まり、エスノセントリズムが強勢となる。日本の嫌韓・嫌中というのも、一部の政治家にとっては大変都合のいい支持基盤確立法なのだろうし、アメリカでサラ・ペイリンが一定の支持を集めた理由も同じだろう。

そうだったのか!というにはまだまだ勉強が必要だ

韓国の歴代政権は、民主政権 vs 独裁政権、右派 vs 左派、親日vs反日、親米 vs 反米、北朝鮮への太陽政策 vs 北風政策などいろいろな政策的方向が時の政権によってわかれている。アメリカ、北朝鮮ソ連・ロシア、中国などなどの国々の利害も複雑に絡み合う。それが全く一筋縄ではないところが韓国現代史が非常に難しいところだ。

盧武鉉は民主派でかつ反日路線だった。しかし、同じく民主派の金大中は比較的日本に対してオープンで、日本の映画・音楽・漫画などを解禁した。金大中が大統領だった時代は日韓関係は相当に前進したのだという。だから親日反日と民主主義は直接関係のある話ではまったくない。一方、18年という長きにわたって独裁体制を敷いた朴正煕大統領は現在の韓国では『親日派』というレッテルを貼られている。池上さんは現在のパククネ大統領に対して

(「親日大統領」とレッテルを貼られている)朴正煕大統領の娘なら、パククネ大統領も親日だろう。こう見られることが、パククネ大統領にとっては屈辱なのでしょう。かえって頑なに反日を貫くことになっています。

と書いている。もちろんそういう個人的な感情がないかどうかはわからない。ぼくの知るところでもない。しかしそういった感情論ではなく、親日というスタンスを取ることは政治生命にとって大変リスクが高く政権を維持するのに致命傷になり得る一方、反日というスタンスを取った方が得なのだという考え方のほうが合理的な気がする。

独裁と民主主義のどちらがより人道的なのかといえば、それは(ほとんどの場合)民主主義だろう。しかし、独裁政権が倒れることによってリージョナルな平和が推進されるのかというとそういうわけでもない。というかむしろ、大多数の国民の支持を得やすい政策を掲げなければ政権が延命できないのだから、歴史問題など国民感情にしこりを残す過去がある場合は敵対的な関係にも陥りやすいのだろう。また、中東・北アフリカ地域で、独裁政権打倒のあとの民主化に伴って世俗主義政党ではなく宗教組織が力を持っているのもその地域での国民の支持の得やすさを反映しているのかもしれない。

その辺の複雑さがわかっただけでも大きな収穫。この入門書一冊ですべてがわかるはずもなく、これは入り口に過ぎないけれど、政治をScienceとして読んでいくというのはなかなか面白い。

*1:この正統性を主張するために、大韓民国は1919年の3.1運動以来上海に設立され、抗日運動を続けてきた「大韓民国臨時政府」を継承しているという建前になっているのだという。この臨時政府は影響力も小さく本国との結びつきも弱かった。そのため米国にも認められていない。

*2:彼の支持層の民主派に親北朝鮮派・反米派が多かったこともあり、この政権には左派の活動家が多数参加した。そのため、政権の運営方針も親北朝鮮・反米的なものとなった。