柿の種中毒治療日記

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西遊妖猿伝 西域編2

火曜日。昨日しっかり準備しておいたので今日の上司との会議はわりとすんなり進んだけれども、会議は会議でしかないのも事実。実際のところいろいろな問題山積みで、そのあとはてんやわんや。とはいえ今日は9時前に帰宅。明日の韓国語の宿題を1時間半ばかりかけてみっちり予習した。

そのあと一冊だけ読書。西遊妖猿伝の西域編第二巻は場所を伊吾の国、つまり現在の新疆ウイグル自治区に移す。玄奘三蔵は7世紀の人だから、イスラム教の創始者ムハンマドと同時代を生きた人なのだね。伊吾の国で玄奘三蔵一行が出会う人々は拝火教(ゾロアスター教)を信仰しているという設定である。

今ではウイグルの人々はイスラム教とだけれども、実際のところのイスラム教の伝播の速度はどのぐらいだったのだろう。ウィキペディアウイグルの歴史を見てみたのだけれども、13世紀から17世紀の間がぽっかり抜けていていまいちよくわからない。興味深いけれど、調べるのは別の機会にとっておこう。なにはともあれ、エキゾチックな雰囲気がとても良い第二巻。

西遊妖猿伝 西域篇(2)

西遊妖猿伝 西域篇(2)

追記

Googleは便利だ。ウイグルイスラム・伝播で検索してみたところ、文教大学の研究紀要がヒット。以下引用と、PDFの紀要へのリンク。こういう情報がすぐに手に入るというのはものすごい時代だな。

7世紀初めにアラビア半島イスラム教が創始されてから、同世紀が終わるまで(唐の高宗時代)にはイスラム教は中国内地に伝えられていた。また、7世紀後期には、アラブ軍は「聖戦」の旗を掲げて中央アジアに侵入を開始しており、アラブ人による中央アジア征服に伴ってイスラム教が当地の主要な宗教となっていった。それにもかかわらず、イスラム教中央アジアから新疆地域に流入したのは10世紀頃で、中国の王朝では五代十国(907~979年)から北宋(960~1126年)にかけての時代であった。イスラム教の伝播は中国内地と比べて約2世紀も遅かった。それは、ゾロアスター教や仏教、マニ教などはまず新疆に伝えられ、そこから中国内地に再び伝来していったという流入過程とも大きく異なっていた。
その主な原因は、アラブ軍が唐朝軍と突厥遊牧国家から侵入を阻止されたため、それまでは武力でもって布教を進めてきたイスラム教がそれ以上さらに東には進むことができなかったからである。また、中央アジアに登場したイスラム王朝化したサーマーン朝とカラハン朝の2つの政権はそれぞれ「宗教戦争」(イスラム聖戦)を開始するも、その「聖戦」はたびたび頓挫させられたために、イスラム教の新疆への流入が遅れたからでもあった。


http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/slib/kiyo/Int/it1802/it180204.pdf
http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/slib/kiyo/Int/it1901/it190109.pdf