柿の種中毒治療日記

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サーバント・リーダーシップ

会社の中で言葉としてはよく出てくる『サーバント・リーダーシップ』。わかったふりをしつつ、実際のところどういう定義なのかいまいちよく知らない言葉の代表格なので、週末を利用して原著に当たってみた。第1章の「リーダーとしてのサーバント」を読んだだけなのだけれども、もっと早くに読んでおけばよかった。リーダーとしての心性に焦点を置いた、良い本。

サーバントである人は、他人にとって優先順位の高いものがその人に与えられているかどうかを気づかうが、こうした点が大きな違いを生んでいる。行うのは難しいが、違いを判断するのに最もいい方法は次のような質問をすることだ。「奉仕されている人々は、人間として成長しているか」「奉仕されることで、彼らはより健康になり、より賢くて自由で、自立した存在となって、自分自身もサーバントに近い存在になっているだろうか」そして、「社会の中で最も権力のない人々に与える影響はどのようになっているのか」「彼らは恩恵を受けているか。少なくとも、これ以上何かを奪われるような目に遭わないだろうか」

生まれながらの真のサーバントだけが、まず耳を傾けることによって問題に対処すると、私は考えている。ある人がリーダーであるとき、こうした性質があれば、その人はそもそもサーバントだと見なされる。つまり、サーバント志望の、サーバントでない人間でも、聞くことを学ぶという長く過酷な訓練、あらゆる問題への対応は、まず聞くことだという態度ができるまで訓練を積めば、生まれながらのサーバントと同等になれるかもしれない。聞くという行為が自信を持ってできるまで訓練を積み、めざましい変化を遂げた人々を私は数多く見てきた。心から耳を傾けることによって、相手に力を植えつけられるからだ。

人を受け入れるためには、その欠点を寛容に受け止めなければならない。相手が完全な人間なら、誰にでも導ける──そんな人間がいればの話だが。しかし、完璧な人間などいない。完璧な子供に育てようとする親は、必ずノイローゼ患者も育ててしまうのだ。
これは人間の性質の謎だが、未熟で失敗が多く、不器用で怠惰な人、いわゆる「典型的な」人物も、うまく導かれれば、世の中に大きな貢献をしたり、英雄的な行為をしたりする。逆に能力がある人は、欠点だらけの人間たちとともに働くことも、彼らを使うこともできないため、リーダーの資格がないと言えるのだ。組織づくりの秘訣は、そんな人々を、最も成長できるやり方で成長させることで、グループとしてまとめられるかどうかにかかっている。
人間は、自分を導く人が共感してくれ、あるがままに受け入れてくれると一回り大きくなる。たとえ、能力の点からはやり方を批判されても。この考えに基づいて、自分と歩む者を全面的に受け入れるリーダーは必ず信頼されるだろう。


また、この本の『前書きに代えて』がとてもよい。これを書いているのは7つの習慣のスティーブン・コヴィー博士。この序文もまた、なんども読み直す価値がある。ひとつ、次の人材育成で悩んでいることがあったのだけれども、腹を括る助けにもなった。自分はサーバント・リーダーでありたいし、自分の後任を任せる人もサーバント・リーダーであってほしい。

サーバントリーダーシップ

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