柿の種中毒治療日記

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精神と物質つづき

権威主義的になるつもりは毛頭ないけど、さすがは利根川進先生*1。深い。サイエンティストの資質についての言葉だけど、これはサイエンスを志す人間のみならずおよそ知的労働に従事する人間にとっては等しく大切な事だと思う。19歳のときの浅はかな僕はこの言葉にぐっと来るというより、彼の発見内容自体や分子生物学という学問の可能性そのものに一番関心を引かれたんだけど、サイエンスに直接従事していない29歳の今*2、これが一番残る言葉だ。

サイエンスというのはカバーしている領域が深くて広いから、こまかいことをほじくり出したら研究対象なんていくらでもあるわけです。だけどその大半は、そういったらいい過ぎかもしれないけれど、どうでもいいことなんですね。だけど、大半の学者は、何が本質的に重要で何が重要でないかの見分けがつかないから、どうでもいいことを追いかけて一生を終わっている訳です。(中略:以下もっと厳しい言葉がつづく)
科学者にとって一番大切なのは、何をやるかです。何をやるかというアイデアです。そして、何をやるかを決めるのは、何を重要と思うかです。若いときに本当に大切なのは、この本当に重要なものを重要と判断できるジャッジメント能力を身につける事なんですね
(pp.114-116)

耳が痛い。サイエンスはとりわけそうだけど、これはサイエンス以外の仕事についてもあてはまる。目の前に提示された課題・問題をいかに解決するかというHOWの能力の高さはもちろん大切だけど、そもそもそれ以前に何を課題・問題として認識し設定するのかというWHAT志向の仕事が出来ているかどうか。
このWHATのところの設定がどれほど本質的なものなのかが、その後割くインベストメント*3に対して帰ってくるリターンに大きな違いを産み出す。そもそも正しいかつ意味のあるIssue identificationが出来ていなければ、後は無駄骨だ。まさにこの点を利根川さんは明確に言及している。

(テクニカルなアイデアに比して)サイエンスで一番大切なのはコンセプトのほうのアイデアなんです。つまり、サイエンスというのはここがわからない、ここが不思議だというところをまず問題として定式化するところからはじまるんですね。色んな自然現象を見てもそういう疑問すらわいてこないという人もいるけど、そういう人はまあサイエンスとは無縁の人ね。まず疑問を持ち、その疑問の内容を詰めていって、何がどう問題なのか、問題点をはっきりクエスチョンの形に定式化する。これが第一歩ですよね。サイエンティストとして次に重要なのはその次の段階なんです。ある問題があるとき、その問題に具体的に答えを出すためにはどういう実験をすれば良いかというアイデアが出るかどうなんです。
(pp.205)

一流は一流を知るとは良く言うけど、彼の仕事に対する取り組み方はサイエンスの枠を超えて本質的だし、だからこそ色んなところと相通ずるものがあるんだろう。その他にも名言の数々。すごい本だ。

『精神と物質』は別にこういう事ばかり言及しているだけでなく、分子生物学の話題を中心に、利根川先生のノーベル賞受賞内容である”免疫系がいかに多種多様な抗原に対応する多様性を産み出しているのか”という話を分かりやすく解説してくれる対談集だ。多様性というのは生物学ではとても大事な概念*4だけど、そこから派生してか昨今の組織論も組織内の多様性について多く取り上げているし、うちの会社でもDiversityへの取り組みが盛んだ。そこについても自然科学とのアナロジーを含めて色々考えるところがあったのでそれはまた後日。

*1:ノーベル生理学賞のヒトね

*2:サイエンスというのはsomething trueに近づこうという試みだと思うんだけど、そういうmind setだけは捨てずにいたい。

*3:時間、労力などなど、時にはその人の人生そのもの

*4:多様な個体を有性生殖・突然変異によって産み出す事によって外的環境に対する対応力が結果的に高まる、とかも