柿の種中毒治療日記

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付喪神

ぼくは物持ちが良いほうだ。というか物を捨てるのが苦手で、むかしからの物をずっと捨てずにとってたりする。とはいえ、使いもしないものをずっと保管しておくのが無駄だという考え方もまた合理的ではあるし、引っ越しは良い機会でもある。
今日はふたりで洋服の整理。冬服をそんなにたくさんフィリピンに持って行ったって仕方ない。冬に帰国するときのことを考えて、最低限何枚か持って行けばいいはずだ。そこで、実家に預けるもの、持って行く物、処分するものを分類して行った。
『器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すと云へり』というけれど、百年どころか十年程度も経っていない服にもいろいろな記憶が伴っているものだなあ。ぼくは記憶力はいいほうで、今でも買ったときの場所だとかそのときの情景、そのあとの事柄なんかが思い出されてくる。
大学二年生のときだか三年生の秋口に、今は亡くなった祖母が東京に遊びにきたときに新宿の伊勢丹で買ってくれたラルフローレンのシャツ。これと一緒にダウンベストと紺色のシャツ、黒いもこもこのプルトップパーカーを買ってくれたんだったなあ。この一枚はお気に入りでそのあともずっと大切に来てた。クリスマスみたいな色合いで、なんだか着てて嬉しくなる柄。ほつれたら縫いながら、毎年必ず10年間着続けたんだから、きっと本望かな。

これも大学のときに買ったA Bathing Apeのシャツ。これまたもう10年も前だ。裏原系とやらがはやりだしてしばらくしたときに買ったんだったな。今はずいぶん方向性が変わってしまったけれど、Relaxっていう雑誌を愛読してた。こいつはカッティングはカッコいいけれど、生地の肌触りはお世辞にも良くなかった。それでもサルのロゴにやられて買っちゃったんだな。アホな話だけれど、裏原宿プロペラ前にちょっとした行列ができていて、せっかく並んで入ったんだしという意味の分からない理由でない財布をはたいて買ったんだった。今考えてみるとちょいと恥ずかしい。

社会人2年目、2003年の冬に彼女と二度目のハワイ旅行にいったんだ。レンタカーを借りてドライブしようとレンタカー屋に行ったら高いコンパーチブルしか残ってなかったんだった。途中雨に降られたりしながらも、オアフ島の東海岸までドライブ。カイルアビーチはとても強い風で、その風を浴び続けてたせいもあってちょっと風邪気味に。それでアラモアナショッピングセンターのバナリパで急遽買い込んだセーター。そのあとババガンプというエビの料理屋で体調も顧みずバケツ一杯のエビを食べて夜中には気持ち悪くて戻したりなんだりノックアウト。あのあとしばらくエビのにおいを嗅いだだけで気分悪くなってたな。軟弱だ。

社会人三年目になる前に、ちょっと古風ゆかしく結納をした。といっても仲人をたてたわけでもなく、奮発して大阪のリッツカールトンの中華レストランで個室を借りて初めての両家お目見え。そのときのために彼女のお母さんが買ってくれたシャツ。白地にブルーと茶の細い格子が入っていてさわやか。ゴールドっぽいネクタイとセットで贈ってもらって、当日は着慣れないスーツを着て緊張したもんだ。そのあとも普段使いにずいぶん活躍した。シャツは襟が最初にダメになっていくんだよね。

これ以外にもユニクロのパーカーだとか、J Pressの冬物パンツなんかを処分。記憶を呼び覚ましてくれるものであるしもったいないとは思いつつ、すべてを持って生きて行くわけにはいかないのでここでサヨナラ。写真に残して、記録をとどめることで供養として前に進んで行きたい。ってまたまた昔語りになってしまった。恥ずかし。