会計操作と言うとぎょっとする言葉だけれども、『必ずしもすべての会計操作が悪いわけではない』という興味深い書き出しから始まる。というのも会計は現金主義ではなく発生主義に基づくために判断が入る余地が必ずあり、そのため攻撃的・保守的両サイドの会計操作があり得るからだ。会計原則のひとつには保守主義の原則というものがあるのだけれども、たとえば売り上げを過大評価しないよう売り上げ認識のルールを厳しく設定したり、陳腐化リスクのある在庫を早めにライトダウンし、コストを多めに引き当てて資産を過大に計上しないようにするという会計操作はこの保守的原則を満たすのだ*1 *2。その一方で攻撃的な会計操作というのはGAAPの中でできる限り売り上げや利益を多く見せるようにすること。こちらはかなりグレーで、行き着くところは粉飾決算だ。ただどこでGAAPの枠組を外れると見なすのか、そこが難しい。
なんてことを書きたかったのではないのだよね。最近他の会社で働く友人からそういう話を聞き、それが『攻撃的な会計操作』の範囲内なのかそこを超えるのかしばらく考えていた。会計規則を一言一句とことん表面的に適用するよう努めればどうにかまだ会計的には枠内だという見解もあれど、やっぱりプリンシプルに立ち戻って考えると正しくない。その正しくない事を、論理のすり替えによってなんとかしようとするってのはあっちゃならん。さらに、正しくないと知ったうえで確信犯的にやるのだとすらば悪質だ。それをクリエイティビティと呼び、それが結果を出すことだというのだとすれば大きな欺瞞だ。『アナリスト予測に達さなかったら株価が下がり株主利益を損なう』という大義名分を元に限りなくグレーな会計操作を行うというのはそれ自体株主に対する欺瞞でもあろう。
世の中そんなもんだし、何甘っちょろい事言ってんだという向きもあるだろう。実際この本の統計解析が証明しているのはそういう会計操作がかなりありふれているという事だ。でも学問ならばその発見だけで成果となっても、実際に会社組織の中で働いている一人の人間にとってそれがありふれているかどうかなんて何の救いにもならん。テクニカルには内部監査のプロセスをどう構築するのかという事だけれども、現場にあるのはそういう同調圧力につぶされそうになる個人だ。将来的にどうして行くべきだという『べき論』ではなく、今すぐできる何かが必要だ。『正しい保身』、『正しいポリティクス』が必要だ。
ぼくは百万人といえども我行かん、という言葉が好きだ。我行かんではなく、我ら行かんになればもっといい。
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