柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

カンボジア、森に沈む遺跡

カンボジア遺跡巡り二日目。

今日からは日本語を話せるガイドさんを頼んだ。Banさんという若いガイド。ついでに車もホテルで一緒に頼んで、昨日のドライバーのSIMさんとは昨日一日だけでお別れ。SIMとホテルで車一日の値段は実は変わらないことが判明。支払いが別々だと面倒だし、仕事をとるためにSIMの値段の説明には嘘があったし思い切って切り替えた。三日目は遠出する予定だし、車もホテルのものの方が断然良く、正直SIMの車では心もとないことも後押しした。SIMはぼくたちの滞在中の仕事を確保したと思い込んでいたようで、明日は頼まないと話をつけるのは多少面倒だった。こんなことなら最初からきっぱりNoと言っておけば良かったけれど、まあそういっても仕方ない。少し余分にチップをわたしたら快く諦めてくれた。こういうところで恨みはつくりたくない。実際のところ翌日のルートはかなりハードだったから車をかえておいて正解だった。
今日は昨日とは違い、Banさんが一つ一つの遺跡の歴史や見所などを細かく説明してくれ、昨日とは違う楽しみ方が出来た。日本語ガイドの場合一日35ドルと英語ガイド30ドルより少し割高だけれども、カンボジアまでくることもそうそうないと思えばガイドをお願いしてこちらも大正解。今日のルートはというと

タ・プローム=>プレ・ループ=>タ・ソム=>ニャック・ポアン=>プリア・カン=>昼食=>アンコール・ワット再訪=>プノン・バケン=>シェムリアップ市内にて影絵鑑賞

榕樹に飲み込まれる遺跡、タ・プローム

冒頭の写真はタ・プロームの遺跡に絡み付くスポアン(榕樹、 ガジュマルの一種だ)。この遺跡は12世紀後半、アンコール・トムを造営した偉大なる建築王ジャヤバルマン7世が母親に捧げるために築いた建造物だった。タ・プロームという名前は美しい響きだ。これは日本語で『梵天の古老』を意味するそうな。なんだか良く分からないけれど、この言葉もまた雰囲気がある。
最盛期には1万人もの人が暮らしていたタ・プロームはその後人の手を離れ、捨て置かれた。そして風や鳥が運ぶ木の実が根を降ろし、次第に成長して遺跡を森が覆っていった。木の根は遺跡の石組みに絡み付き、石と石の間に入り込み、重さで遺跡を壊して行く。今はだんだん修復が進んでいるけれど、今もなおスポアンは残りその圧倒的な力を見せている。巨大な遺跡と過去の人々の営みをすべて飲み込む自然の力の対比。

壊れた城門を抜け、森の中をのんびり歩いてタ・プロームへと向かう。のどかな風景。森が開けると目の前には巨大な樹木がそびえる遺跡が現れた。崩れそうな門をくぐり、ふと横に目をやると壁の裏側は根に覆われていた。


かつてはまっすぐにそびえ立っていたのであろう塔頭も今は樹木の重みのせいか傾いている。美しいレリーフに飾られた建物も、自然の前にはなす術がない。今から800年もの昔、ここはきっと人の住む寺院特有の静謐さに包まれていたはずだ。今も静かではあれど、人の住む気配はもちろんない。
それどころかこのまま樹木が生長すればいつかこの塔は崩れてしまう。しかし簡単にこの樹を伐採したり燃やしたりするというわけにはいかないのだそうだ。木の根はすでに石組みの隙間に奥深くまで入り込み、そこでさらに成長して石組みの位置とバランスをかえてしまっている。下手に伐採すると木の根が腐り、そこに新たな空間が生まれて遺跡が崩壊してしまうこともあるのだという。緩やかに崩壊に向かいながらも、今この瞬間は樹齢300年を超えようかという巨大な木と、建築後800年を超える人間の遺物が精妙なバランスで両立しているのだ。
あの名作『天空の城ラピュタ』でムスカ大佐は『木の根がこんなところまで!一段落したら全て焼き払ってやる!』との台詞を残したけれども、そんな事したら滅びの呪文無しにあの城は崩壊していたのかもしれない。




土に体を半分以上覆われ、木の根の間から女神像が微笑む。どこにいるかわかりますか?