柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

中央集権・地方分権

某グローバル企業のマネージャーたちが視察にやってきた。アメリカ人、インド人、フィリピン人、イギリス人などなど様々な国籍からなる人々で、肩書きもアカウンティング部門ディレクター、内部監査ディレクターなどなどそうそうたる面々。シェアド・サービス・センターの運営について参考にしたいということで、プレゼンテーションと質疑応答を1時間ばかりおこなった。最新のテクノロジーや競争上の企業秘密になりうるようなことはしゃべらないという約束の上でのセッションだったのだけれども、そこまで込み入った話にいきつくまでもなかった。というのも、同じグローバル企業でありながら組織運営のストラテジーが根本的に違い、シェアド・サービス・センターの導入度合いが全く違うからで、話はHarbard Business Reviewに乗っているレベルの『文化』の話に終始した。
中央集権・トップダウンで物事が決まっていく会社の場合、各国の組織との間でいろいろな調整は必要だけれども物事がまったく進まないということはないから国境を越えたシェアド・サービス・センターも実現可能だ。一方、分権型の会社の場合、本社の機能や権力が比較的弱く、各国組織が大きな力を握っていて、いちいち各国組織別にGoサインをもらわないと物事を進められない。というわけでなかなかシェアド・サービス・センターを導入できないのだという。『分権』というときめ細かいサービスなどが出来そうで聞こえはいいけれども、実際のところは標準化がなかなか進まない。標準化が進まないもんだから、規模の経済も実現できない。(もちろんコマーシャル・サイドの戦略として中央集権型がいいか分権型がいいかという話はまた別だけれども、)少なくともグローバル企業の間接部門戦略ということを考えると中央集権形の方が良さそうだ。
さてでは標準化への最大の『抵抗勢力』はどこかと言うと。。。想像どおり日本の組織だそうだ。曰く『今のオペレーションがベストだ。日本で要求される質の仕事は他では出来ない』『言語の壁・商慣習の壁など日本は特殊だ』などなど。実際のところ、どこの国の組織だって同じことを言うのだ。それを聞き慣れた外国人マネージャたちの目にはそれを強く主張する日本の組織が『変化に対する抵抗勢力』だと映っているのがありありと伺える。*1本音のところとしてシェアド・サービス・センターなんてものが出来たら日本国内の仕事が海外に移転してしまうからそれに対してディフェンシブになるのは当然だと思う。しかしそれにしたってもう少し説得力のある理由をもって抵抗をするなり、もしくは日本のオペレーションの質が世界でベストだというのならば思い切ってそのベストの質の仕事をグローバル・スタンダードとして世界中に広めてやろうと打って出てやるという話になればよいのにと思う。分権型組織であるがゆえにいま目先の集約化の動きに対して抵抗できるというのはラッキーなのか・アンラッキーなのか、どちらであろう。どのみちいつかはコストではるかに優位な海外シェアド・サービス・センターに移った方が得だという経営判断を下す日が来るのなら、思い切っていま自分たちが変化をリードし、社内デファクト・スタンダーになる努力をした方がよっぽど可能性がありそうだが。
なにはともあれ外資系とひとくくりに言っても本当に多種多様である。ひょっとしたらこないだ読んだ高杉良の『挑戦・巨大外資』って実は超リアルなんだったりして。

*1:確かに日本というのは特殊なところはあるけれど、それだってどうにかできる範囲の話であろう。