柿の種中毒治療日記

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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

角川本セールで七帝柔道記を読んでとても面白かったので、同じ著者の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を買った。単行本にして700頁を超える大著だけれども、日曜日から読み始めて一気に読み終えてしまった。本当に面白い。

日曜日に読んだ出口さんの本で『小説や歴史書にはいろいろな人が出てきてそれが学びになる』という旨のことが書いてあったけれども、まさにこの本のなかの主要な登場人物はそれぞれ全く違う方向に振り切れていている。理想主義の師匠牛島。鬼の木村と呼ばれるほどストイックな武道家でありながら、実生活ではかなり享楽的な木村。人にとりこむことが得意で、しかし同時にとことん傲慢な力道山。人間の色々な側面が感じられる。

最強の名をほしいままにした木村。しかし、油断がすべてを台無しにした。それともおごりだったのか。木村政彦が最強だったことを証明するために十数年の歳月をかけて取材をした著者の言葉が重い。

木村政彦は、あの日、負けたのだ。もう一度書く。木村政彦は負けたのだ。


木村と戦って破れたエリオ・グレーシーの息子、ヒクソンの言葉。

木村は魂を売ってしまったといってもいい。これだけ実績のある武道家がフェイク(八百長)の舞台に上がること自体が間違っている。武道家というものはロッカールームを出るとき、すでに生きるか死ぬかの戦いの準備ができていなくてはならない。木村は柔道家時代はそれができていたのに、この舞台に上がったときできていなかった。問題はそこにある。


木村のことを愛してやまない人たちがいる一方、木村には「技は教わったけれども、心は教わっていない」というものもいる。ストイックに武道を追求し、バレエの動きにさえも武道への応用の可能性を探る素晴らしく大きな視野を持った武道家でありながら、台本ありのショー・プロレスに飛び込みそのあげくに油断から力道山に屈辱的な負けを食らってもいる。本当に興味深い。一貫性のある人生を歩むというのは本当に難しいことだな。