宮部みゆきさんの過ぎ去りし王国の城を読了。リアルとファンタジーを行き来するお話。なんだけどいまいち盛り上がれなかった。
しばらく前に十二国記を読んでそのスケールがリファレンスになってるからかもしれないけれど、いつまでも序盤が続くなと思ったら、さっと物語の核心が明かされ、そしてするするすると解決へ。あれ?
中学生の主人公や重要な登場人物3人になかなか共感できなかったのは自分の感性の衰えであろうか。もっと違う時期に読んでいたらどんな感想だったかな?
台風がやってきたので家の中でゆっくり。1945年の8月14日から8月15日に一体何が起こっていたかを書き記した「日本でいちばん長い日」を読了。ポツダム宣言を受け入れ、終戦に向かうまでの様々な人々の思惑、信念、行動が緻密に描かれていてとても興味深い。
玉音放送の模様はビデオで見たことが何度かあるけれど、その背後にそれを覆そうとする軍部若手将校のクーデター計画があり、玉音放送の録音盤を奪取しようと皇居を占拠しようとする動きまであったのだね。全く知らなかった。
原爆を二発投下され、国民を憂う天皇のそばに君側の奸がいるとし、指揮系統を無視し、自らの属する師団の師団長を暗殺し天皇の奪取を図る。
そんな若手将校たちが信じた天皇制とは、国体護持とは一体なんだったのだろう。彼らはただ観念的かつファナティックだったのか、それともそれを主張するに足る実利的なメリットがあったのか。
そもそも、「主権が天皇にある」としつつ、天皇の御心をめいめい勝手に慮り、「天皇のそばに君側の奸がいるために、天皇の意思決定はまちがっている。従う必要はない」というロジックが成立するのなら、いったい本当のところ誰に主権があるのだろう?
自分の主義主張と天皇の意思のズレを「君側に奸のせいだ」とできるのならば、つまるところ天皇はだれかの思い通りになる傀儡にしかなりえないのではなかろうか。平安時代の藤原氏しかり、鎌倉幕府の北条氏しかり、江戸時代の老中たちにしてもしかり、長期的には天皇や将軍という人たちが独裁者や直接の為政者たり得た期間よりも、その直下の人々こそが為政者ではなかったのか?
「主権を国民に渡さず一部の為政者が独占する」という意味において、いま香港で起こりつつあることとは本質的に何が違うのか?
歴史は繰り返すともいうし、賢者は歴史に学ぶともいう。もうちょっと歴史を学んでみたい。
久しぶりのブログ更新。直感と論理をつなぐ思考法 Vision drivenを読了。
いまの会社に移ってきて、トップの言葉のなかにPDCAを早く回してという言葉がが何度も出てきたのが印象的だった。プランし、実行し、検証し、さらにアクションを起こす。このサイクルを回すことに異論はないし、それを早くやればやるほど軌道修正をしながら改善していけるというのも頷ける。カイゼンこそが競争力の源泉だったメーカーならではなのだろう。
でもその先に目指しているものが何なのか、会社として成し遂げたい未来はなんだろう?それを考え、発信できることこそがこれからのリーダーの条件ではないだろうか。じゃあどうすれば?という疑問に対して色々有用な思考法やツールが紹介されとても興味深く読めた。
二日連続でスーパー銭湯へ行ってみよう!と車を走らせた。途中でなんだかとてもお腹が減って、思い立って立ち寄ったのはハングリー・タイガー。肉をたくさん食べて、そのあと塩風呂に浸かっていたら体ポカポカ。夜になっても全くお腹がへらない。