柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

全国学生書道展

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日曜日。今日は東京都美術館へ創玄展・全国学生書道展へ行ってきました

娘が今回特別賞の中のある賞を頂いたので、授賞式に参加。賞状をいただき、その後家族みんなで展示されている作品を見に行きました。これが自信になったらいいなと思います

休日の上野公園は広々としていて、人で賑わっていて楽しい雰囲気。充実した週末でした

 

 

神奈川フィル スメタナ 『わが祖国』

月神奈川フィルのマーラーを聴いて、ライブのオーケストラの素晴らしさに感動した。なにかまた行こうと思っていたら、今週末はスメタナの連作交響詩『わが祖国』。一人みなとみらいに行ってきた

指揮の広上淳一さんは小柄だけど背筋がずっと伸びていて、とてもダイナミックな指揮。抒情あふれるところではうたうように、高らかに歌い上げるところは全身で。そして盛り上がるところではなんと指揮台の上でジャンプ!それに合わせてオーケストラも緩急と強弱を自在に操る。音楽が本当に好きなんだなという感じ

聴いていて、みていてわくわくウキウキする音楽。この二週間ずっとチェコフィルの「わが祖国」を聴いていたので、モルダウのみならず全ての曲を堪能できた

帰りはちょっと足を伸ばして歩いて大桟橋へ。心がとても開放的な気分になる一日でした

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鳥山明さんを思う

鳥山明さんが亡くなったというのが大きなニュースになっていた

ぼくもコミックを買い揃えたっけな。久しぶりに読みたくなって、Kindleでモノクロ版を全巻まとめ買い。1巻を読み始めて笑いが止まらない。どんどん進んでいく。

大人になったからなのか、親になったからなのか、後半どんどん力と力がエスカレートしてバトル中心になり、大勢があっさり殺され、そしてその人たちが「どうせドラゴンボールがあれば再び元通り」という重いんだか軽いんだかわからない調子に佐々木なっていく前の方が楽しく読める

 

 

グリーグ ピアノ協奏曲第一番

むすめと義父さんの3人、みなとみらいで行われた神奈川フィルのコンサートに行ってきました。

曲はグリーグのピアノ協奏曲第1番と、マーラー交響曲第7番。

グリーグのピアノ協奏曲はもう数十年前、中学生のときに何度聴いただろうというぐらい聴いた曲。その曲に数十年後にこうやって再開できてとても嬉しい。ピアノのニュウニュウさんも立ち居振る舞いもとてもかっこよく、ファンになりました。娘も楽しかったみたい。

マーラー交響曲第7番は80分近い壮大な曲だったけど、こちらもとても楽しく美しく。

 

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パット・メセニー Dream box

パット・メセニーのソロツアー Dream boxのため青山に行ってきました。高校生の時にアルバムWe live hereを聴いて衝撃をうけ、それ以来ずっと30年以上きいている人のライブについに来ることができて感動

これまたぼくがこれまで一番聴いたアルバムの一つであろう、チャーリー・ヘイデンとの名アルバムBeyond the Missouri Skyからの曲に始まり、One quiet nightの名曲。それからギターが雷のように轟音で鳴り響くインタールードをへて、Dream boxからも何曲か。締めはオーケストリオンが出てきて、パットメセニーひとりなのにパットメセニーグループ。

ピカソギターによるもの凄い演奏など、息子と娘も楽しんでくれたみたいだし、とにかく最高だった。

 

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1Q84

村上春樹さんの小説『1Q84』を聴き終えた。オーディオブックで全6巻の大作。全部で68時間近い。

オーディオブックは倍速ぐらいで聞くことが多いのだけど、小説に限っていえば早くしないほうが世界観にどっぷりと入り込めてよい。今回の朗読は杏さんと柄本時生さん。Amazonのレビューではなかなか辛辣な評価も目立ったけれど、個人的にはこの二人の朗読は最高だったと思う。柄本さんの言葉はちょっと滑舌は悪いけど、味があるし心に染み込んでくる。杏さんの冷静で透明な感じの声も、青豆という人物にぴったり。本で読んで筋だけを追いたくてさっと読み飛ばしてしまっていたようなところも、二人のナレーションでひとことひとことゆっくりと聞いていると、本当に格別の体験だった

1Q84は出版当時に読んだ。最初に1巻2巻が出て、少し間を置いて3巻が出たんだったかな。当時フィリピンで暮らしていたこともあって、3巻を読むのに少し間が空いた。それもあってか過去の日記には『感想は保留』とだけ素っ気なく書いていた。おそらく13年前のぼくには響かなかったのかもしれないし、素直に受け止められなかったのかもしれない。単に1・2巻の内容をあまり覚えておらず、あまり理解できなかったのかもしれない。セックスの描写が露骨なのがちょっとどうかと思ったのかもしれない。主人公の一人である天吾がいったい何をしているのかぴんとこなかったのかもしれない

でも13年ぶりに今度は耳から聴く1Q84は自分の中に深く、深く入ってくるようだった。父親のNHKの集金に連れて行かれるのが嫌で嫌でたまらない天吾。両親が信じる新興宗教『証人会』の活動で家々を訪問する母親の後をついて歩く青豆。そんな二人が小学校の教室での一瞬交わした手と手のつながり。その後、二人はそれぞれ親との関係が断絶する。二人は離ればなれになっても小学校の教室での一瞬の出来事を忘れず、自分自身の人生を歩んでいく。

二人は1Q84なるパラレルワールドに迷いこむ。天吾は何をやってもうまくできる天才的な面を持ちつつも、いまいち執念というかこだわりにかける男だったのだけれども、そこである少女のゴーストライターをつとめ、それが大ヒットになる。そこから今度は真剣に自分自身の物語に向き合うことになる。そこで父親と再び向き合う天吾。

一方青豆はといえば奔放な性生活を送るものの、そこで知り合った友人を失ってしまう。その後ある新興宗教の教祖の殺害に加担し追われる身となるも、自分自身の人生を、主体性を取り戻す青豆。そして青豆は大切なものを見つけ、自暴自棄だった自分ではなく自分が他者を守りたいという愛に気づく。もう一人の登場人物、牛河もとても印象的だった。彼もまた不幸と言ってもいい生い立ち。彼はとても悲しいけれど、家族を失い、弁護士という仕事を失い、最後には命も失う。この3人それぞれに感情移入し、ある場面では涙が止まらなかった。

読後はとても温かく、勇気づけられる気持ち。青豆と天吾二人が手を繋いで向かった世界は、『元いた世界』そのものではないのかもしれない。そういう意味で、これは『行きて、帰りし』物語ではない。これは、『行って、赦し、自分を取り戻し、新しい尊いものを獲得し、そして手に手を取って新しい世界へと踏み出していく』希望のものがたりなんだな。もうちょっというと、自己理解と個人的な成長・変革、幼少期のトラウマの克服、自己受容と内面の平和、そして愛と希望の獲得、創造性とコミットメント。

前回ノルウェイの森を聞いていろいろ深く感じるところがあったけど、1Q84は自分の中のまた違った部分や違った記憶に訴えかける。個人的には、村上春樹さんの数ある名作の中でも最高のものがたりの一つかもしれないな

 

 

ノルウェイの森

最近は次から次へと村上春樹さんの小説の朗読を聴いている。

先週末まで聴いていたのは、妻夫木聡さんが朗読する『ノルウェイの森』。初めて読んだのは大学一年生の時だったかな。

主人公のワタナベが暮らす目白あたりの学生寮のモデルになった『和敬塾』に大学のサークルの友達が暮らしていた。僕自身は主人公のように女遊びをするわけでもなく、精神的に不安定な彼女がいるわけでもなく、15平米もない狭いワンルームマンションと駒場のキャンパスと家庭教師先のお宅と下北沢と渋谷と東中野を巡る毎日だった。そしてサークルを辞め、彼女ができ、バイクを買い、友達ができ、とにかく人並みな大学生活だった。その後中高で一番仲が良かった友人が自ら命を絶ち、ぼく自身にもいろいろ人間関係を巡るトラブルがあってこの本を読めなくなった。その後も村上春樹さんの小説は新しいものが出るたびに読んでいたけれど、この本だけは捨てた。今の妻と出会い、就職をし、たくさんの人と出会い、いろんな国に行き、子どもに恵まれた。

一度は捨てたこの本を2010年に映画化されたタイミングで再び海外の日本書店で見つけてつい手に取って再購入した。けれど結局のところ最初の数ページをぱらぱら読んだだけで、あとはそれ以上進む気にはなれず忙しいまま読まずに本棚の奥のほうにしまい込んだ。いろいろチャレンジングな状況は都度あったけど充実していたし、なぜ好んでこの本を読んで落ち込むリスクを取る必要があるのかわからなかった。そんな本を再び開くのではなく、耳から聴くというのはまた新たな発見だった。

妻夫木さんの抑揚を欠いた淡々とした朗読は最初のうち違和感があった。どうせなら全部『騎士団長殺し』を朗読した高橋一生さんに読んでもらいたいなどと思っていた。けれどなかなかどうして。妻夫木さんの過剰な演技も感情移入もないただただ淡々とした朗読は、ぼく自身の拒否反応を惹き起こすことなくどんどん入ってきて想像力を刺激し、むしろ自分の中の深いところまでその言葉が沁みていった。彼の朗読はとても耳に心地よい。

この話は19や20の主人公をめぐる生と死と性、喪失にまつわる話。村上春樹さんがこの物語を書いたのは1987年で彼自身がまだ30代のころ。いまぼくは主人公の倍以上の年齢になり、執筆当時の著者の年齢を超えた。作中の重要人物のうちで、最も年上のレイコさんの年齢だって超えた。いろいろな場所でいろいろな人に出会い、いろいろな体験をしてきたいま、改めて二十歳の頃に出会った本と再会するのもこれまた不思議な体験でもある。

村上春樹さんがあの有名な『やれやれ』と言う言葉に象徴されるデタッチメントから、『井戸を掘る』コミットメントへと変容し、喪失だけでなく喪失からの回復へよりバランスが移って行ったのと同じように、ぼく自身もコミットメントというものが自分の中の核になりつつある。

妻への、子供たちへの、家族への、職業への、友人たちへの、社会への、そして自分自身へのコミットメント。もうナイーブな二十歳の頃ではないし、人からどう見られるかなんてどうでも良い。自分らしく精いっぱい生きることや誠実に生きることがなによりも大切だと思えるようになった。

二十歳の頃を思い出しつつ、感傷的な気分にもならず。むしろ昔の自分に再び出会い、そのすべての体験を改めて受け入れて自分のコアを確認する感覚。自分を許し、ひとを許し、再び頑張ろうという感覚。この小説にそんなことが明示的に書かれているわけではないのだけど、ごく私的かつメタな体験ができたとても良い二週間でした。