柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

時間を飛び越える

Google Map Street Viewの日本版がリリースされたそうな。ためしに神戸の家の近くを見てみる。これはすごい。うちの前の通りがくっきりはっきりだ。今は売られていったぼくのバイクも。といってもこの日曜日までそこにいたんだから、そんなに変わっているはずもない。ふとおもいたって、大学に入りたてのころ過ごした祖師谷の街を訪れてみた。

考えてみれば今からもう12年も前のことになるんだなあ。田舎から東京へ出てきて、祖師ヶ谷大蔵にある小さなマンションの一室を借りたんだ。駒場の生協で斡旋されるがまま、右も左も分からないぼくと母親は京王井の頭線と小田急を乗り継いでこの部屋を見に行ったんだ。そして紹介されたわずか一軒の物件を見て早々と決めたんだ。
うなぎの寝床とはまさにこのことというようなわずか17平米のワンルームマンション。家賃6万1千円。ぼくの暮らしてた田舎の家は結構広かったから正直半分がっかり、それでも半分は初めての一人暮らしにどきどきしたな。小田急の各駅停車がいかに遅いかを知らなかったぼくたちは、経堂で東北沢で代々木八幡で、何度も何度も特急・急行・準急を待ち合わせて一時間もかけて新宿の不動産屋にたどり着いてはんこを押したんだ。そのときついでに買ってもらった青いウィンドブレーカーとスウォッチクロノグラフはもうなくした。
10年のときを経ていったいどうなっているんだろう。怖いもの見たさで祖師ヶ谷大蔵の駅へカーソルを滑らせる。駅前の雰囲気からしてもうずいぶん違う。ここは本当に同じ街だろうか。駅前にあった2階建ての本屋も、いつも丁寧にハードカバーの本にオリジナルのカバーをかけてくれた小さな本屋も、裏録さえできないビデオ一体型2 in 1テレビを買った長崎屋も、今も使っている食器を買った角の金物屋も、自炊が面倒でいつも弁当を買ってたオリジン弁当もなにひとつない。怖いもの見たさで見始めたというのに、あまりの見慣れない風景にどんどん不安になる。ここは本当にぼくが過ごしたあの街なんだろうか。
でも、通りを離れて右へ折れたらそこには懐かしい風景が広がっていた。いまは決定的に仲たがいしてしまったヤツと何度も飲みにいったお好み焼きや。そこからさらに右へ左へくねくねとした道を通って目的の場所へ。このみちを毎日歩いてまじめに大学に通ったなあ。
その先に、その建物は相変わらずの感じでそこに立ってた。入り口すぐのところの共用のコインランドリーはいつも混んでいて、出し忘れた洗い物は洗濯機の上にぽんと置かれているのがいつもの光景だった。隣に住んでたやつは近所迷惑を全く顧みない迷惑な男で、毎週金曜日の深夜1時過ぎごろに家に帰ってきては窓を全開にして大音量で金曜ロードショーを見てたんだ。顔を見たこともないそいつの唯一のとりえは風呂の中で大声で歌う歌。イエモンだとかブームだとか、プロ顔負けの美声だった。やっぱりそれはいつも夜中のことだったけれども。それに負けじと壁にスピーカーをくっつけてフリージャズを流したり、こっちもそうとうイカレテタ。周りにいったいどんな人が住んでいるのかまったくわからない、集合住宅なのになにも集まってはいない建物。
はは。まだこの建物立ってたんだ。小さな小さな部屋に、いろんな思い出が詰まってる。あのころのドキドキも、悲しい気持ちもささくれ立った気持ち切羽詰った気持ちも今はただ懐かしいばかり。こうして時間はいろんなことを流してくれて、自分がまた違う場所でいろいろな人とであって毎日を充実して過ごせていることに感謝。

幸福な朝食 退屈な夕食  
作詩・作曲:斉藤和義


今歩いているこの道がいつか懐かしくなればいい
今歩いているこの道はいつか懐かしくなるだろう
その時は是非君が隣に その時も是非君の隣に
とても嬉しいお願いします 僕は嬉しいどうかよろしく


幸福な朝食 退屈な夕食 後悔の数 事は成り行き
受け売りの知識 正体見たり 押し殺した声 裸を見せ合ったり
最初は直感 試してみる価値 大成と犠牲 予定通り 予定外
僕は君でも 君は僕じゃない 君は僕でも 僕は君じゃない


忘れてく感覚 遠ざかる記憶 将来の希望 忘れたい過去
しわくちゃの顔 しわがれた声 オープンG カッコいいギター 足蹴り一発
ズレてる感覚 エンターテイナー ダサいはずのカポタスト 優しそうな目
ドクロの指輪 悪いのはどいつだ! すべての答えはあのシワの中