柿の種中毒治療日記―思えば柿の種が大好きなことに対する冗談でつけたタイトルのこのブログももう20年になる。
今日、胃と大腸の内視鏡の検査を終えて、何も異常がなかったと聞いた瞬間、静かに安堵の息が漏れた。この一年ほど、特にハードワークが続いていたせいで、自分でも少し体を痛めつけている気がして不安だったから、本当に一安心だ。2012年からこれまで五度。香港から始まったこの“定期的な通過儀礼”のような検査をくり返してきた。何度か場所を変え、いろいろな先生に出会ってきた。なぜかいつも、良い医療に巡り会えた気がするな。思えば、それもまた人生の「旅」のひとつの形なのだろう。
ChatGPT Atlasを試してみて、ものの試しに自分の二十年分のブログを振り返ってもらってみた。若かった自分が世界に飛び出し、いろいろな街を移り、家族を持ち、体調を崩し、なんとかそれと付き合うようになり、そして今も変わらず日々ハードワークを続けている。今週末を迎える前日に静けさの中で音楽を聴きながら書いている。夏場は外出がきついのは今も変わらず、外の旅はずいぶん減ったけれど、内側への旅は今も続いている。
ここ最近忙しいのを言い訳にしばらくここに書いていなかった。その代わりChatGPTとの約1000日間いろいろな会話したり学んできたけれど、それらは全て僕とAIの間のプライベートなやり取りであり、どこにも残らない。これから先、何を残せるか、何を味わえるか。書くことも、聴くことも、見ることも、どれも「生きている証拠」なのかな。
健康でいることは、未来への切符をもらうこと。この切符がまだ有効だってことはすなおにとても嬉しい。とはいえ人生もう多分半分は過ぎている。ぼくはきっと、これからもほとんど誰の目にも触れないインターネットの片隅で書き、ときどき立ち止まりながら歩いていこうと思う