清王朝の時代、科挙を受験しまた科挙に備えて勉学に励む人々が広州に集まってきたそうだ。そんな人たちを一族で支えるために作られたのが書院。大晦日にたまたま迷い込んだ西関の路地裏にも書院があったのだけれど、この辺りにはそういった建造物がたくさんある。そのなかでも陳氏書院はそのスケール、保存状態の良さから中国の重要文化財ともなっているそうだ。
建設されたのは意外と新しく、清朝末期1894年のこと。日本では明治時代にあたる。その当時、広州一円の陳姓の人々がお金を出し合って作ったのがこの陳氏書院だ。総面積1万5千平米もの土地をぐるりと囲む外壁。その中には20近くの建造物が建ち並び、祖先を祭る祖廟も作られたのだそうだ。中国では一族のつながりがとても大切だと聞くけれど、一族をあげてこういった施設を作り上げるというのは中々面白い。日本で似たところを探せば、出身地の県人会が経営するアパートとかがそれに当たるのかもしれない。
入り口前には大きな広場。ちょうど春節を祝う時期なので大きな鯉が花で作られていた。そういえば鯉が滝をのぼって龍になる「登竜門」の故事も中国から来たものだったね。
高さ10mはあろうかという巨大な外壁が取り囲む。外壁には精巧な彫刻が掘り込まれて、屋根の上にはカラフルで見事な塑像があしらわれている。望遠レンズをもってくればよかった。
陳氏書院の中心にある聚賢堂。いまはここに華南地方の文物が展示されているのだけれども、100年前にはここで科挙を目指す若者達が勉学に励んでいたのだろうか。また建物と建物を結んでぐるりと回廊がめぐり、回廊には木製の仕切りがある。ここにも精巧な彫刻が施されていてとても美しい。
広州に来てまだあまり色々な場所に足を運べていないのだけれども、この陳氏書院では中国の伝統と一族のつながりを感じることができた。文句無しに素晴らしい。