オーディブルで村上春樹さんの『辺境・近境』を聴き終えた。この本は前に学んだも読んだことがあるのに、なぜか自分のこのブログに記録した形跡がない
ともあれ毎夜散歩しながら永山瑛太さんの朗読に耳を傾けているのはとても楽しかった。自分が行ったことの場所、行ったことのない場所、色々な想像が膨らんで旅を追体験しているよう。そしてそれはぼく自身の記憶や思いを刺激する
イースト・ハンプトン 作家たちの静かな聖地1991年秋、ニューヨーク州ロングアイランドにあるイースト・ハンプトンを訪れた際の紀行。
2002年にアメリカで3ヶ月半暮らしたことを少し思いだす。ホームステイ先のマクラスキー夫妻の家での生活やあの時の空気のかおり。部屋に差し込む光。明るい芝生の裏庭。大学寮での生活。そのあと今度はボブの家でのホームステイ。連れていってもらったハンバーガー屋さんの活気。ニューヨークにも行ったな。メトロポリタン美術館。ヴィレッジ・バンガード。セントラルパーク。ブルーマン・ショー。NYSEのディーラーたち。
無人島・からす島の秘密1990年8月、新潮社の雑誌『Mother Nature's』に掲載するために山口県の無人島を訪れた際の紀行
僕は海のない街で育ったので、海になにか憧れがある。夫婦で行った鞆の浦の凪いだ海と夕焼け、会社の同僚と行った尾道から今治へのしまなみ海道サイクリング。昔々子どもの頃にいってタコを見つけた瀬戸内の海。でも虫だらけの無人島はごめんだ
メキシコ大旅行1992年7月、『Mother Nature's』に掲載するためにメキシコを約1ヶ月巡った際の旅行記。
この夏メキシコに出張予定だったのに、病気のため無期限延期中。メキシコにはぜひ行ってみたい。僕自身の体験で足を運んだ中南米の国々であるコスタ・リカやアルゼンチンとはまた全く違う風景が広がっているのかな。もしかしたらスペイン統治の影響を受けて、昔2年間を過ごしたフィリピンと何か通じるところもあるんじゃないかと思ってしまう。イロコス・ノルテを旅した時にはそこにもスペイン統治時代からの教会や街並みが残っていた。まだ子供もおらず、リゾート気分でたくさんフィリピン中を旅行したあのころ
讃岐・超ディープうどん紀行1990年10月、文化出版局の雑誌『ハイファッション』に掲載するために香川県を訪れた際の主に讃岐うどんに関する紀行。安西水丸と行程を共にしており、作中には安西の挿絵が入っている
一昨日聞いていてうどんを食べたくて食べたくて仕方がなくなったので、今日駅ビルのなかのはなまるうどんに行ってきた。その昔ぼくも香川県にいってうどんを食べたことがあるけれど、あの時の感動を味わうには駅ビルでは情緒がない。
就職して初めて買った中古のゴルフ3ワゴンに乗って、義理のお父さんお母さんと妻と僕の4人で愛媛県と香川県を訪れたんだった。道後温泉、砥部焼の絵付け体験、香川県内でのうどん屋巡り、金比羅山参り、栗林公園で撮った家族写真やシャガの花。そういえばこの頃使っていたCanonのカメラやタムロンのマクロレンズなんかは全て中国から韓国に引っ越した時にコンテナ荒らしによって盗まれた
ノモンハンの鉄の墓場『ねじまき鳥クロニクル』第1部、第2部を刊行し、作中でノモンハン事件を取り上げた事で、文藝春秋の雑誌『マルコポーロ』に声を掛けられ、1994年6月に中国及びモンゴルを訪れた際の紀行。
ぼくが初めて中国に行ったのは2003年1月。まだ日記を書き始めていなかった。SARSが騒ぎにちょうどなり始めたころの香港の九龍に一泊して遊び、そのあと九広鉄路で広州へ出張。初めての中国本土。宿泊先の珠江新城のリッツ・カールトンの周りは一面の空き地だった。初めて食べた蠍、ワニ、蛇、いろいろな珍味と同期の面々。そのあとまさか自分が4年間も中国で暮らすことになるなんて思ってもなかったけれども、まさかの中国赴任。空き地だらけだった珠江新城は2010年には様変わりしていた。どんどん大都会になるあのスピード。と、同時に郊外に少し出るとまだ残っていた土壁の貧しい家々。村上さんの本にある1994年の中国のダイナミックさはもっとすごかったのだろうな
この話はノモンハン戦争の跡を訪れる紀行なので必然的に戦争の話も多い。『ねじまき鳥クロニクル』、つい最近読んだ『 情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記 』や『失敗の本質』などの戦史に描かれる戦略の失敗やその犠牲となって死んだ多くの人々のことに思いを馳せる
アメリカ大陸を横断しよう1995年6月、新潮社の雑誌『SINRA』に掲載するため、アメリカ合衆国の東海岸にあるボストンから車で西海岸にあるロサンゼルスまで、一部カナダを経由し、2週間以上をかけて巡った際の紀行。
ぼくはKとふたり、シンシナティからクリーブランド、バッファロー、ピッツバーグと3泊4日の旅をした。そういえば予約していたはずのホテルに予約も空室もないと言われ、派手なモーテルで男2人過ごす羽目になったんだった。走れども走れども変わらぬ景色。クリーブランドのロックの殿堂、ナイアガラの滝。なんだってピッツバーグにいったのか覚えていないけれども、なぜかそこで見た錆びた鉄塔のような映像だけは記憶に残っている。 アメリカ大陸横断してみたい。
神戸まで歩く唯一雑誌に未掲載の文章。1997年5月に村上春樹の郷里である西宮から神戸の三宮までを2日間に渡って歩いて巡った際の紀行。
神戸にはぼくもずいぶん思い入れがあるし、いろいろな思い出がいっぱい詰まっているのだけれど、振り返ってみればたったの3年間だった。懐かしい芦屋川の風景。友人と登った六甲山。岡本の街並み。西宮のジュンク堂やツマガリのクッキー。六甲道のカイロプラクティック、六甲アイランド、蘇州園でのジャズナイト。よく自転車で走った須磨海岸や、宝塚までの武庫川沿いの気持ちいいサイクリングロード。村上さんが食べたピザの話を聞いて、ぼくもそのピノッキオというお店でクアトロフォルマッジを食べた記憶が突如鮮明に蘇る。 初めて本山に借りたマンションの周りにはまだ震災の面影が少しだけ残っていた。最後に神戸に遊びに行ってからもう7年か。。。
30年近く前に書かれた紀行文を今読み、タイムスリップした気持ちで追体験しているつもりだったのに、どんどんと自分の記憶の引き出しが開かれていろいろなことを思い出す。とてもとても楽しくて、幸せな記憶。でもそれは過去への執着や郷愁ではなく、今この一瞬一瞬を大切に楽しもうという気持ちもかき立ててくれる