会社からの帰り道、ほとんどすべての信号にひっかかった。こういうこともあるんだなあ。そんなときでもブローティガンの朗読を聞いていると不思議とこの間の悪さが気にならない。むしろのんびりゆっくり聞きながら帰りたい気持ちになる。
このCDの4曲目*1は、『ビッグ・サーの南軍将軍』から『<伝道の書>に見えるリヴェット』。読んだときにはただ不思議な雰囲気だと感じながらさらっと読み終わってしまった話なのに、ブローティガンの声に耳を傾けているとどんどんイメージがわいてきてとても素敵だ。
家に帰って寝ればいいのに聞き取りと自分訳に挑戦。
(前半省略)
・・・
夜になるとぼくはもちろん聖書の中の<伝道の書>を読んだ。この聖書は古くてページがとても重い。はじめのうちは、それを繰り返し繰り返し、毎晩読んでいたんだけれど、そのうち、一晩に一度だけ読むようになった。それから、一晩にほんの二、三節だけ読むようになり、今じゃあただ句読点を眺めるだけになっている。というかじつは、ぼくは句読点を数えていたのだ。一晩に一章ずつ。きちんと段ごとに数字をそろえて、句読点の数をノートにつけていったんだ。ぼくはそのノートに「<伝道の書>における句読点」と題をつけた。これはいいタイトルだと思った。エンジニアリングの研究みたいなものとしてやっていたんだ。
当然ながら、船を造るときにはまえもってその船を造るのにリヴェットが何本必要か、どんなサイズのリヴェットが必要かということがわかっているだろう。ぼくは伝道の書に使われているリベットの数やそのサイズに興味を持ったんだ。伝道の書、ぼくたちの海を航く、暗く美しい船。
ぼくが書き記した表を要約するとこういう感じだ。
<伝道の書>第1章には57個の句読点。内訳はというと、22個のカンマ、8個のセミコロン、8個のコロン、2個のクエスチョンマークに17個のピリオドだ。
<伝道の書>第2章には103個の句読点。内訳は、45個のカンマ、12個のセミコロン、15個のコロン、6個のクエスチョンマークに25個のピリオド。
<伝道の書>第3章には77個の句読点。内訳はというと、33個のカンマ、21個のセミコロン、8個のコロン、3個のクエスチョンマーク、そして12個のピリオドだ。
<伝道の書>第4章には58個の句読点。内訳は、25個のカンマ、9個のセミコロン、5個のコロン、2個のクエスチョンマークに17個のピリオド。
<伝道の書>第5章には67個の句読点。内訳はというと、25個のカンマ、7個のセミコロン、15個のコロン、3個のクエスチョンマークに17個のピリオドだった。これがビッグ・サーのランタンの明かりの下でぼくがしていたことだ。ぼくはこのことを通じてよろこびとまたひとつの理解を得たんだ。個人的には聖書はランタンの明かりで読んだほうが良さが増すと思う。聖書はいまだ電気に完全に順応していないんだと思う。
ランタンの明りの下で、聖書はその真髄を見せてくれる。ぼくは<伝道の書>の句読点をとても注意深く数えた。数え間違いなんてしないように。それからランタンを吹き消した。
いいなあ。書物を船に、句読点をリヴェットにたとえるなんて。昔々ひまでひまでしょうがなかった午前3時に駒込のアパートで畳の目の数を数えた自分の思い出と重なる。あ、ぼくは別に聖書そのものには全く関心がないんだけど。