柿の種中毒治療日記

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ピアノがうちにやって来た

月曜日にブエンディアにあるヤマハで注文したピアノがやって来た。本当は木目がとても奇麗なアップライトのピアノが欲しかったのだけれども、音を気にして弾けないのでは本末転倒なのでヤマハクラビノーバを買ったのだ。夕方6時半の配達に間に合うように急いで家に帰って、3人の配達員がピアノを組み立ててくれているのを眺める。3人と世間話をしながら、その間にもどんどんピアノが組み上がって行くのを見ているとなんだかワクワクして来た。
組み立てが終わってスイッチを入れてみる。ところが早速問題が。液晶パネルにいろいろな情報が出るようになっているのだけれども、パネルに縦の筋がいくつも入っていて全く解読不可能。ああまたかと多少がっかりする気持ちは正直あったけれども、ここ数ヶ月のフィリピン生活でそこはもう慣れたもの。30分ばかりかかって会社と確認をしてくれてどうやら言語設定に問題があるだけで液晶自体には問題がないってことがわかった。『不良品だったから持ち帰ります』ではがっかりだけど、そんな必要はないみたいでほっと一安心。設定変更のやりかたは説明書にも載っていないし配達員さん達も知らない内容らしく、来週セールス担当が家を訪問して調整してくれるんだって。まあ音は出るしわけだし当面問題ないよね。
配達員さんたちが帰って行って、さっそくピアノを触ってみた。ぼくは小学生のころからはじめて受験を理由に高2でやめるまでピアノを習っていたのだけれども、とてもとても不真面目な生徒だった。毎週ピアノのノムラ先生がうちに来ては、先週から全く進歩のないぼくに最初は怒鳴り声を、そしてしまいにはため息をついていたのを思い出す。『あなたの弾く子犬のワルツは大犬のワルツね』なんてね。そんなこんなでまじめに練習する事が全くないまま、それから10年以上ピアノに一切触れないまま時間が過ぎ、今や何一つロクに弾けないんだ。クラビノーバには名曲集50曲分の楽譜がついて来たけれども、ほとんどどれも弾けそうにない。エリーゼのためにだけは指が少し覚えていたのかたどたどしく、息も絶え絶えになりながらなんとか最後まで行き着いた。
夜9時を回って彼女が仕事から帰って来た。楽譜をぺらぺらめくりながら、いくつもの曲を楽しそうに弾いている。ああ、あの訳の分からない複雑な楽譜はこんなに素敵なメロディだったんだ。こんなふうに弾けたらきっと楽しいだろうな。その夜夢を見た。ぼくが自由自在にピアノを弾いているところ。翌朝起きて今ならと思って弾いてみたけれど、やっぱりそれは夢の中の話。いまなら楽しみながらハノンを繰り返せる気がする。