柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

黄金郷を求めて

フライトまで後1時間あまりである。デトロイトのラウンジ内はだいぶ込み合ってきた。午前中閑散としていたのがうそのようだ。街は不景気に沈んでも、中継地としてのデトロイトはまだ健在ということであろうか。とはいえ数日前にCNNでやっていた全米の空港の発着遅れランキングによるとやはり健在とまでは言えないらしい。発着遅れランキングでアトランタはワースト一位、デトロイトは遅れなしベスト5。皮肉なのはワーストに入る5都市は経済状態がそうはいっても悪くなく、飛行機の便数が多いために遅れが目立つということ。デトロイトの遅れの少なさはデトロイトの人々のDiligenceのためというわけではなく、やはりこれも景気の悪さの反映なのだ。ここのラウンジ内にはシャワーがあった。フロントに聞いたらあいていたのでシャワーを浴びて着替え。これですっきり入眠モード。デトロイトとマニラの時差はちょうど12時間だから、いまは向こう時間深夜二時ということになる。搭乗後すぐに眠れれば時差ぼけに悩むリスクが少なかろう。
いまこうやってラウンジを見渡してみるといろいろな人種のいろいろな年代の人々がいる。そこにあからさまな文化の衝突などというものはないし、みんな自分のPCやケータイ電話、テレビや本に向かって静かにすごしている。でも500年前の大航海時代、異民族の出会いは衝突や争いを生むもととなっていたのであろう。
コスタリカの通貨はコロンというのだけれども、これはコスタリカに初めて足を踏み入れた西欧人クリストーバル・コロンに由来する。というと聞きなれない名前だけれども、これはスペイン語発音だからで、馴染みのある呼び方だとコロンブスだ。コロンブスは1502年にコスタリカに上陸した。そして次第に植民地化が進んでいく。1570年にはコルドバにより全土が支配下に。コスタリカはメキシコやペルーといった有名なスペインの植民地にくらべると、忘れ去られたような辺境の地であったそうだ*1。でもやはりコスタリカにも金はあった。それが感じられる展示。
人をかたちどった金細工。二つ目は男性であろうか、女性であろうか。今の感覚からいえば女性というかパーマを当てたおばさんみたいに見えるけれども、日本だってヤマトタケルノミコトの時代には男性も髪をくるくる巻いてたわけだし、ヨーロッパの王侯貴族だってそういうカツラをつけてた時代があるわけだからどうだろう。


神をかたどったものなのか、少し抽象的でもありなんだかよくわからない数々の金細工。風神雷神につながるものがある気がするな。

ワニか何か、大きなものに食べられる人らしきものをかたどった金細工。ワニにしては背びれの形がおかしい。恐竜といったほうがイメージはわくけれども、やはり恐竜時代の品ではないわけだしこれはワニのデフォルメなのであろうか。こういった生物をかたどったものも多くあり、カエルやワシ、ジャガーらしき金細工も多い。

この金細工の展示の後、国立博物館はスペイン入植後の展示へと続く。フィリピンでも展示されているのと同じような、陰気なキリスト像やマリア像が並び、銃とさまざまな近代兵器が展示されている。こうして完全にスペイン統治かに入ったコスタリカでいま昔の影は感じられないけれども、なかなか感慨深いね。

*1:[http://www10.plala.or.jp/shosuzki/history/costarica.htm]