柿の種中毒治療日記

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西漢南越王博物館にて翡翠の衣をまとう王を見てきた

『地球の歩きかた 広州 アモイ 桂林』の広州市内の見所には3つ星のものが二つある。その一つは先日行った陳氏書院で、もう一つがこの西漢南越王博物館だ。陳氏書院が思った以上に良かったし、せっかくなので博物館にも足を向けてみることにした。結論からいうと、大満足。

西漢南越王博物館は1983年に工事現場で偶然発見された前漢時代南越国第二代文帝の墓とその出土品を展示している。
紀元前214年に嶺南地方(今の広東省広西チワン族自治区一帯)は秦の始皇帝によって占領され、秦の支配下に入った。始皇帝が亡くなった後、群雄割拠の時代が始まり、秦の将軍であった趙陀が自ら王を名乗って南越国を建国した。その孫である南越国第二代の王が文帝である。彼の遺体は全身に玉衣を纏い、両側に置かれた鉄剣10本と、文帝行璽(金印)などの印鑑9本や精美な装飾品が埋葬されていた。また墓室の内外では、王の妾や奴隷ら殉死者の遺骸15体が発見されている。出土品の種類は1000個以上に上り、精巧な彫刻の施された玉細工品や青銅器が含まれている。


ここでいう玉とは翡翠のことだ。翡翠の衣をまとうとは一体どんな感じなのか楽しみだ。博物館は赤いレンガ作り。解放北路沿いにそびえたっている。入り口に彫られているのは中国の神話伝説時代の帝王伏羲と女媧らしき男女。


入ってすぐの建物内には陶器枕のコレクションがずらっと展示されていたけれど、ここは撮影禁止だった。今回は別の博物館の特別展も開催されていて、春秋戦国時代の前、周の時代の文物が展示されている。青銅製の鼎や卜占に使われた動物の骨なんかもあって、わくわく。周の時代と言えば紀元前8−10世紀のことだ。日本ではまだ弥生時代に入って間もない頃。そのころにこれだけの技術と文字を持つ文明が栄えていたというのは改めて恐れ入る。また、中国の影響を受けた古代朝鮮・日本の工芸品も展示されている。古伊万里や古九谷もあり、確かにその意匠は中国風だ。


一つ目の展示館を抜けて階段を上がって行くと、いきなり陵墓がある。墓の上はガラスのピラミッドっぽくなっている。


ピラミッド型の屋根の下に発掘された石室がある。階段が地下へと掘り込まれていて、墓の中にも入れる。


薄暗い墓の中。亡くなって埋葬された王はともかく、ここに葬られた15人の殉死者はいったいどういう気持ちだったのか。昔見た『火の鳥』ヤマト編が思い出される。火の鳥では殉死者は天皇の陵墓に生きながらにして埋められるという子供心にとてもショッキングな描かれ方をしていたけれど、この15人はどうだったのだろう。薄暗くひんやりとした石室内はなんだか少し背筋が寒い。


そして二つ目の建物へ。ここからが本番。


墓の中に埋葬されていた玉爾。これによってこの墓の主が文帝であることがわかったという。印鑑という文化は紀元前からのものなのだ。それにしても大きな印だ。


復元された棺。実物は墓の中で朽ちていたそうだ。棺は二重になっていて、外箱と内箱の間には玉器など貴重な品がおさめられていた。


そしてでました、この博物館の目玉の玉衣。これは2291枚の翡翠の薄板を赤いシルクの糸で結びあわせ、王の遺骸を覆った衣なのだ。近づいてみると確かに翡翠だということが分かる。頭の部分は真ん中に穴があいた玉が用いられている。この真ん中の穴は王の魂が天界へと旅立って行くためのものだと考えられているらしい。この玉衣は全身を覆うように作られていて、手や足の裏まで覆われている。エジプトのミイラと通じるところもあるけれど、あちらは防腐処理を施して布で巻いたのに対してこちらは翡翠だ。なにを願ってこの翡翠の衣を着せたのだろう。



玉衣だけではなく、一緒に埋葬されている翡翠の工芸品もどれも大変美しい。玉衣の下や棺の上、棺の四隅などには美しい左右対称を保つ形で翡翠の円盤がいくつも置かれていた。それぞれに大変細かい彫刻が施されている。また王の手に握らされていたのはやはり翡翠の龍。細かいところまで精密で、王を弔うために使われた労力は想像を絶する。


龍虎をあしらったフックや鳳凰をあしらった玉。蝶番のような仕組みのついた怪物の面は王の遺体の顔の部分を覆うマスクだった。どれも素晴らしい。


この博物館、かなりの規模である。玉衣や翡翠の宝玉の細かい作りをじっくり見ていたらあっという間に二時間がたってしまった。2000年を超える昔にこれだけの権勢を誇る王がいて、高い技術をもつ文明が花開いていたというのは驚嘆だ。歴史の教科書で学んだ知識が、実物を目の前にしてそのリアリティを幾重にも増してくれる。
実はこれはまだ博物館の前半にすぎず、後半には殉死者と一緒に埋葬された宝玉や、武具、青銅器がずらりと展示されていた。ちょっと疲れたので後半は飛ばして帰宅。思った以上に素晴らしい博物館だった。もう一度是非来たい。