横山光輝『三国志』がとても好きだった。父は世界史の教師で、特に中国史が専門だったから家には中国の歴史に関する本がたくさんあったのだけれども、小学生には活字ばかりの歴史本は手に負えず、結局三国志だったり史記だったり横山光輝の漫画ばかり読んでいた。その『三国志』第一巻に、玄徳と芙蓉姫を黄巾党から逃した僧侶が塔から飛び降りる場面がある。子供ながらにそんな昔にそこまで高い塔があったのだろうかと不思議に思ったことがやけに記憶に残っている。
昨日は華林寺のあと、やはり広州の四大仏教叢林の一つである六榕寺にも足を伸ばしてきた。六榕寺は西暦537年に創建された古刹である。もともと浄慧寺という名前だったのだけれども、詩人であり書家でもあった蘇東坡がここを訪れてガジュマル(榕樹)が生えている様子をみて『六榕』と詠んだことから六榕寺という名前となったという。ここの最大の目玉が花塔だ。
5元の入場料を払って入場。門をくぐるとさっそくカラフルな仏像が祀られていて、多くの人がお供え物を捧げている。
そこを抜けて中庭に出ると、さっそく目に飛び込んできたのはとても高く美しい塔だった。
この塔は537年に建てられた後、宋の時代1097年に改築された。高さは57.6m。基盤は八角形で外部には九階、内部には十七階を備えている。この内部にはやはり五百羅漢が備えられているそうな。地球の歩き方によると中に入れるそうなのだけれども、正月で込み合っているからかそれとも事情が変わったのか残念ながら中には入れなかった。近くに立ち寄って見上げてみるとその高さに驚く。三国志のあの塔は実在したんだ。
華林寺と同じく、境内は線香の煙でもくもく。寺の境内には観音堂や、大きな大仏をまつった建物もあり、たくさんの人で賑わっていた。
賑わう境内をのんびり歩いていたらガジュマルを見つけた。ちょうど一年と少し前にカンボジア旅行をした時にやはり榕樹に浸食された遺跡を見てとても興奮したことをふと思い出す。広州はカンボジアよりは北に位置するけれども、植生はやはり南国のそれに近いのだろう。こういう樹をみて蘇東坡は六榕と詠んだんだな。歴史や漢文の授業で学んだ蘇東坡が来たところに今暮らしているんだなというのは不思議な感慨がある。
今では広州の街には超高層建築が立ち並び、60mもない塔にのぼっても広州を一望することなんて不可能だけれども、きっと千年の昔にはここから広州の街を一目におさめられたに違いない。