柿の種中毒治療日記

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

10年前に少し長いお休みに広州から香港に旅行に行き、銅鑼湾そごうの書店で発売まもないこの本を買った。香港のコンラッドに滞在中に一気に読み終えて、日記にはその旨だけ書いていた。ところが全く話を覚えていない。また読みたいとは書いていても、それ以外の感想を全く書いてないので当時本当のところ何を感じたのかもわからない。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 - 柿の種中毒治療日記

Audibleで朗読されたものがあったので毎晩夜の散歩の際に少しずつ聴いた。向井理さんの抑制の効いた、そしてほっとするとても穏やかな朗読がとても心地よい。肝心のストーリーのほうも、多崎つくるくんが自分の人生の転機となった出来事をめぐって『巡礼』をしていき展開が面白い。でも最後は個人的にはしっくりこなかった。

 

20やそこらの時に仲の良い友達グループから突然追放されて、それを30過ぎまでひきずっているつくる。それをガールフレンドの沙羅に指摘されて、彼はその当時の友人と会い、その当時何が起こったのかひとつひとつ理解していく。彼は自分だけが被害者だと思っていたけれども、必ずしもそういうわけじゃなかったということに気づく。十数年経ってもう一度その時の友人と再開し、お互いに理解し合い、そしてまた再び関係を結べるきっかけができた多崎つくる。これってとてもラッキーだし、幸せなことだと思う。多くの場合失われたものは失われたもので、二度とは戻ってこないものだし。

と同時に沙羅が自分とは別の中年の男と交際しているのではということを知ったつくるは、それを知ったことを沙羅に告げ、それでも沙羅と交際したいことをつげ、沙羅からの3日後の返事を待っている。『自分が沙羅に別の恋人がいるかもということを知っているということは言ってはダメだ』、『沙羅さんをどうしても手に入れなさい』と旧友のエリに言われたのにそれでもそれをさらに告げずにはいられなかったつくる。

沙羅に良い返事をもらえなかったらそれは物理的にか比喩的にはともかく『死』を意味すると彼女からの返事を待つ真夜中につくるは考えている。彼は辛い思いをした、それはかわいそうだ。でもなぜそんなに自分の存在と自分の価値を他者からの承認に委ねようとするのだろう?沙羅がどのような返事をしようと、そのこと自体で自分自身のありようは変わらないじゃないか。ずっと自分が「色彩を持たない」とコンプレックスを抱き続け、沙羅に言われて旧友と再会した『巡礼のたび』でそこに気づきがあったんじゃなかったのか?

彼は巡礼のたびを終えてきてなお、自分の殻からは抜け出していないし主体性を取り戻してもいない気がする。被害者意識からは抜け出せても、それでも幼児性と自己愛からはぬけてないのではないだろうか。乱暴な言葉でいうと、拗らせすぎじゃない?

10年前は多崎つくるとほぼ同年代だったけれど、10年経った今は当然多崎つくるくんよりもひとまわり年上になった。ただ単に自分が年をとり、いろいろ経験してきただけなのかもしれない。いや、そうではなくて人の価値観というのはそうやすやすとは変わらないのかもしれない。こうやって色々書いていて、10年前の気持ちが徐々に蘇る。当時もぼくは多崎つくるのラストの独白にあまりしっくりこなかった。「夜の霧」を読み、どんなに物理的な制限や理不尽な迫害・生命の危機に瀕しても、自ら主体的でありたいと思うようになったのは自分にとって大きな転換点だった。

夜と霧 - 柿の種中毒治療日記

でも、つくるのそういう気持ちは、それはそれで多くの人に共感を呼ぶものなのかもしれない。ぼくには理解できなくても、だからと言って誰が正しいとか正しくないという話ではないし、そういう人もいるんだと受けとめられるようにいたいな。