柿の種中毒治療日記

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タイシルク王、ジムトンプソンの数奇な人生

昨晩は夜遅くまでニューハーフショーに興じたこともあり、今日も遅めの出発。タイ・シルク王ジムトンプソン宅へ行って来た。

いまではタイといえばシルクというくらい有名になったタイ・シルクなのだけれども、実は40-50年前にはそこまで知られていないタイのローカル産品だったそうだ。そこに登場したのがアメリカ人ジム・トンプソン。彼は元々建築家であった。しかし第二次世界大戦中に軍に入り、その後CIAの前身の諜報機関へと転属。秘密工作の訓練を受けた後、1944年6月に行われたノルマンディー上陸作戦に従軍し、その後も諜報員としてヨーロッパで活動した。その後ヨーロッパ戦線が終結したため、1945年6月に日本軍へ対する秘密作戦に従事するためインドシナ半島に赴く。しかし8月に日本軍が降伏し戦争が終結したため、作戦には従事せずにタイに留まることになる。

彼はサイドビジネスとして当時バンコク唯一のヨーロッパ風ホテルとして知られていた『オリエンタル・ホテル』の買収を試みるも失敗。そこで次は当時機械織りによる大量生産の普及などで衰退の一途をたどっていた家内制手工業のタイ・シルクに着目した。彼はタイ・シルクの復興とその売込みに没頭した。諜報部員であったことから情報の威力に精通していたのかもしれない。アメリカでタイ・シルクの売り込みを徹底的に行い、ファッション雑誌『ヴオーグ』の目に止まる。そのグラビアを飾ったことからアメリカのファッション業界での人気が爆発。ハリウッド映画『王様と私』の衣装として使用されるなど、欧米諸国でタイ・シルクの人気が上がり、その結果、トンプソンはタイ・シルクを復興させた男として欧米のみならず世界中で知られることになる。

彼はアジアの美術品蒐集が趣味で、タイやクメール、ミャンマーの文化財を積極的に蒐集した。中には金に物をいわせてほとんど無理矢理手に入れるというケースもあったらしい。しかし幸か不幸かその情熱のおかげで文化財は国外への散逸を避けることが出来た。さらにミステリアスなのは彼の失踪ストーリー。1967年3月26日に、休暇で訪れていたマレーシアで忽然と姿を消し、マレーシア軍や警察などを動員した大規模な捜索活動にも拘らず、その姿は二度と発見されることはなかった。身代金目的の営利誘拐から諜報活動がらみの誘拐・暗殺、単なるジャングルでの遭難から地元住民による殺害まで、さまざまな失踪理由が取りざたされたものの、現在に至るまでその行方も生死も謎のままだという。タイ・シルク王が実は諜報部員としての活動をその後も続けており、それに絡んで行方をくらましたなんていうことがあるのではないかなんて想像力がどんどん広がって行く。

まるで映画のような話だ。
ジム・トンプソン・ハウスはそんなジムトンプソンがタイの田舎の高床式住居を買い取り、バンコクで改造して住居として使っていたという家である。ディズニーランドのタワーオブテラーとお話的には良く似ているので悪趣味な蒐集家の家というものを想像していたのだけれどそれは完全に良い方向に裏切られた。節度のある、趣味のいい調度。あいにく中は撮影禁止だったのだけれども。主が行方不明になった今も、行方不明になった当時のままにして置かれているという。それまた好奇心をかき立てられる話。




ランチは隣りのジム・トンプソン・カフェで。けっこう手頃な値段なのだけれども、とても美味しい。パクチーのような癖のあるものを使わず、万人受けするように改変された現代タイ料理。

さらに併設されているジム・トンプソンのお店にてお土産購入。素敵なデザインの商品が数多く置かれ、まったく飽きない。