柿の種中毒治療日記

Kobe→Manila→Guangzhou & Hong Kong→Seoul→Yokohama

ロルフィング第二回を受けてきました

ロルフィング第二回目のセッションに行ってきた。今回は膝から下を中心に。

まずは脛のすぐそばの前脛骨筋に対して念入りにワークしてもらう。今回もぐりぐり押したりすることはなく、ゆっくりと持続的な圧のかけかた。気持ちいい程度に触れて、微妙な動き。この筋肉がパンパンに張って痛いくらいだったのだけど、次第に足が溶けるように軽くなっていく。お尻の下の辺りにも軽く響くような感じがあって、筋膜で繋がったネットワークであることを実感。

それから足首周りと、足裏の足底筋群。足が解放されていく感じ。まず左足からやってもらったのだけど、すでに両足の長さがかなり違う。また、左足の方は自然と踵の真後ろがベッドについて、つま先が上を向くようになった。一方で施術前の右足は踵の右側面がベッドについていて、つま先が開いている。このようにあしがねじれている状態のために、太腿の外側や腰に痛みが出るとのこと。もちろん右足もしっかりやってもらった。

なお今後の維持のためにはベッドの上にしっかり踵の中心をつけて、爪先が広がりすぎないように横になるのが大事。また踵が遠くに行くように意識してつま先を脛側に倒す意識で、前脛骨筋やふくらはぎに気持ちがいい刺激が入る。

実は昨日軽くぎっくり腰気味になり、それを庇うために身体中に力が入って肩や背中もガチガチ。吐き気がするぐらい頭が痛かったのだけど、面白いことに足を中心のワークで腰回りが楽になってきた。本来ならここで膝下ワークは終わりなのだと思うけど、あまりに肩こり頭痛がひどいので僧帽筋と後頭下筋群も改めてワークしてもらった。前回同様柔らかい圧で、どんどん緊張がとれて肩が下に下がっていく。腕が長くなる感覚。

その後は椅子に座ってのワーク。骨盤をゆっくり前傾・後傾、片手を上げて腰を反対側に回旋する運動、それからピラティスのように首から背中へと背骨を一つ一つゆっくり曲げていき、起こすときは仙骨から動かしていく運動。これらも全て自分の動きに加えて、先生の手技が加わってとても気持ちいい。

 

さて、その結果。

まずは立ってみてびっくり。『地に足がつく』というのは比喩表現ではなく現実の身体感覚なのだというのが一番な気づき。体の重心が少し下がったような、物凄く安定した感覚がある。また、右足のつま先が外に向いていたのだけど自然に前を向いている。踵の骨の前あたりに体重がしっかり乗って、膝下の筋肉を緊張させずともバランス良く立てている感覚がある。

また、歩いてみても明らかに違う。これまでと違って、踵に体重がしっかり乗り、そこから真っ直ぐに踵が上がってつま先側に体重移動できる感覚。そして真っ直ぐに地面を蹴っている感覚。これまでは踵に力が乗らず、かつ右足の側弯部に体重が移動して、最後は爪先が外側に開いていた。この歩き方だと爪先が全く開かず、楽にすいすいと歩ける。すごい。頭痛もすっかり消えた。

 

今後のケア

これを維持するために今後やっていくこと

  • 踵で立つ感覚を体に覚えさせる。立った状態で体を前後にゆっくり動かして、踵に体重が乗っているポイントとその感覚を繰り返して練習
  • テニスボールの上に足裏を乗せてコロコロ動かす。特に、踵の骨の前側を意識すると良い。立つ時にはここに体重が乗るので、ボールでそのポイントの感覚を掴ませる。
  • ふくらはぎの筋膜リリース。ストレッチポールにふくらはぎを乗せる。表面に近い層はコロコロと早めの動きでOK。そのあと1分程度持続圧をかけて深層にも刺激を入れる
  • 前脛骨筋の筋膜リリース。脛をストレッチポールに乗せる。動かしにくいし、別にコロコロしなくても持続圧で良い。これも1箇所一分くらい。
  • 寝て踵をしっかり地面につけ、足首を前後左右にゆっくり動かす。前後に動かすときは踵が滑って足が伸びる意識。
  • 椅子に座る時も足裏を意識する。足裏がべったりとしっかり地面についていると、座っている姿勢が安定する。坐骨で座るのは大切だけど、意識は坐骨よりむしろ足裏

 

次回は第3回目、体側。

 

サラバ!

西加奈子さんの『サラバ!』を聴き終えた。主人公の圷歩(あくつあゆむ)は1977年イラン駐在中の父母のもとテヘランで生まれ、その後エジプトカイロで小学生時代を過ごし、中学校以降は大阪で。そこで阪神大震災を経験する。その年には地下鉄サリン事件もあった。その後大学で上京。9・11のテロ。アラブの春。東北大震災。ぼく自身も同世代で、記憶に残る様々な出来事を共有している。その圷歩が37歳になるまでの半生記。

背が高くハンサムな主人公はモテるし、周りからも人気がある。スクールカーストで言えば上位のグループに属し、充実した学生時代をずっと送ってきた。一方その姉は変わり者で小学生のころからいじめの対象。高校には進学せず新興宗教(?)の巫女的存在となるもの、サリン事件の余波もあり自分の信じたものをことごとく失っていく。

その姉を忌避し、姉のことを無視し続ける主人公なのだけど、しだいに仕事も恋愛もうまく行かなくなってしまう。長じてからの主人公の思考は他人との比較によるものが多い。自分が他人と比べて上か、下か。自分の付き合う相手の『ランク』は?その相手と付き合うことで自分はどうみられる?

こういうのは苦しいだろうな。自分が自分であるというSelf esteemのような自尊感情が弱く、一方で他人と比較して優位に立つことでプライドばかりが肥大化している。自分が本気になってそれでも負けるような挑戦をしていないし、何かあっても自分ではなく周りのせいにする思考パターン。そして自分がいざ自慢できるものを失い始めるとどん底へ。少年時代や、中高生時代の語りと対照的で、後半は聴くのが辛くなってくる。そんな彼の前に再び現れた姉の言葉が印象的だった。

「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」

主人公は再び子供の頃を過ごしたエジプトに向かい、そこで自分の信じるものを再び見つける。これは喪失の物語であり、再生の物語。

 

 

ぼくは幸運なことに20代の前半にSelf esteemとPrideの違いについて指摘を受ける機会があって、他人との比較からは割と早いうちに抜け出せた気がする。でもそういう指摘を受ける機会がなかったら、もしかしたらぼく自身もプライドばかり高くて自尊心がなく、他人の目ばかり気にして自分の幹、自分の芯となるものを培えなかったかもしれない。本当に幸運だった。

今は人の親となり、子どもたちを育てる側でもある。子どもたちが自分が自分であることを大切にして、他人の目線や相対評価を気にし過ぎることなく、自分自身の幹をしっかりと育ててくれていったらいいなと思う。もちろん自分自身の幹もしっかりとしていたいけれど。そういう、『自分の在り方』を主人公圷歩とその姉の人生を通じて疑似体験できる、とても良い本でした。

 

余談

self esteemについてその昔日記に書いた記憶があるなと思ったら、15年前に色々書いていた。自分の言葉の選び方・ものごとの見方など青臭くかつ傲慢なところが多々あって読んでて恥ずかしいなと思いつつ、自分の思考や体験を振り返れる記録が残しているのは悪くないなと思った。
Self-confidence, Pride, Self-Esteem - 柿の種中毒治療日記

ロルフィング

ひどい腰痛に悩まされ、帰国するたびにマッサージだとかボディワークの本をかっていた時期がある。もう15年ぐらい前のこと。その時に買ったロルフィングの本が本棚から出てきて、何気なくGoogle検索してみたところ、割と近くにロルフィングをやっているところがあった。

お試しを一度受けて、なんだかとても良い感じだったので全10回のセッションを受けてみることにした。今日は第一回。

マッサージとは違ってぐいぐい押したり揉んだりは全くなく、ごく軽い圧と軽く揺れるような動き。ものすごく気持ちよい。深呼吸をすると身体が徐々に呼吸に合わせて大きく膨らむようになるのを実感。最近頭痛がひどいことがあるのだけど、首や僧帽筋上部、頭の緊張が溶けるようにほぐれていった。2時間のセッションを終えて立ち上がってみたら姿勢がすごくよくなって、首も長くなった感じ。何より、手が長くなった感じがする。上半身が驚くほど軽くてびっくり。

上半身が軽くなると、逆に膝下や太もも脇が張ってるのをすごく感じる。次回は足のセッション。楽しみ。

 

 

かがみの弧城

最近ちょっとオーディオブックからふたたびリアルな本に戻ってきている。心地よい声のナレーションを聴くのもいいのだけれど、一気に集中して最後まで読めるのは本のいいところ。というか、夜寝るときにオーディオブックを聴いていつのまにか寝落ちをしていることが多く、ちっとも進まない。

 

そう言えば先週『かがみの孤城』を読んだ。娘が読了して、とても悲しくてでも感動したという。妻がそのあと読み、じゃあ僕もと。娘の本を借りて読むのは初めてかも。内容も面白かったけど、なによりもあなたがこんな長い本を楽しく読めるようになったことに驚きと感動です。

 

 

 

 

 

 

 

女のいない男たち

3回目のワクチンを打って24時間。熱は出ないが左腕の痛みと寒気が続く。健康というのは素晴らしいね。失われて初めてその大切さを痛感するものの一つなのかもしれない。

ベッドの中で、ここ数日読んでいた『女のいない男たち』を読み終えた。ぼくが17年間途切れ途切れに書いてきたこの日記を検索してみたところ、前回読んだのは2014年のこと。出張中の上海だった。もう8年も前のことになるんだな。

8年前は「イエスタデイ」が一番好きだと書いていた。今回はイエスタデイはおそらく2番目に好きで、一番いいなと思ったのは「木野」。寒気と悪寒の体調に少し超自然的なオカルトめいた話がマッチしたのかもしれないし、年をとってものごとへの見方が少し変わったのかもしれない。単に先週見た映画『ドライブ・マイ・カー』の主題になっていて、そこが共鳴しているのかもしれない。

映画のほうは、原作の短編小説三編がとても上手く再構成されていた。原作もとても良いし、原作通りではない映画もとても良いというのは素晴らしいことだ。

女のいない男たち - 柿の種中毒治療日記

 

 

ドライブ・マイ・カー

アカデミー賞で話題になっていた『ドライブ・マイ・カー』を見た。

3時間という長い上映時間に尻込みしていたのだけれど、はじまってみたら引き込まれてしまってあっという間にエンディング。

原作はずいぶん前に読んでいてあらすじは知っていたのだけど、映画で大事なのは筋やストーリーだけではないなと改めて実感。

俳優の皆さんの声や表情、仕草のひとつひとつ。劇中のチェーホフの舞台。SAABのエンジン音。車窓を流れる景色すべてがとても美しかった。SAAB 9-3に憧れていたことも思い出しました。

妻を喪った男、母を喪った女、舞台から去っていく男。彼らの言葉や表情から伝わってくるものが確かにそこにある。感想を言語化するのがとにかく難しくて、なんとも月並みな表現にしかならないのだけど深い余韻が残る素晴らしい時間だった。『テキストを信頼して』という言葉が出てくる映画だし、なんとか自分でも今の気持ちをテキストにしたいとは思うのだけど。

一人の家で、部屋を真っ暗にして大きめの音で見たので少し映画館気分だったけど、やっぱり映画は映画館でみたいな。

 

 

カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』

カズオ・イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』を聴き終えた。主人公クリストファーが子供時代を過ごした上海の租界での生活の思い出、イギリスの学校でのエピソード、探偵として成し遂げた仕事や社交会でのやりとり。特に大きな出来事があるわけではなく回想が淡々と続いていく。その後クリストファーは上海へと渡り、両親を探し始める。そこからは怒涛の展開。あっと驚く結末と、最後に残る寂寥感。

ぼくもいつか自分の人生を振り返って子どもだった頃の記憶をたどることがあるのかな。その時に、僕がこれまで暮らしてきた国々や訪れた場所、仕事や家族・友人との思い出をどのように振り返るのだろうか。たくさんの物事は記憶から抜け落ち、一部は改変されたりされなかったりして記憶にとどまるのだろう。改めて活字で噛み締めながら読んでみたいと思う良い物語だった。

上海の租界に暮らしていたクリストファー・バンクスは十歳で孤児となった。貿易会社勤めの父と反アヘン運動に熱心だった美しい母が相次いで謎の失踪を遂げたのだ。ロンドンに帰され寄宿学校に学んだバンクスは、両親の行方を突き止めるために探偵を志す。やがて幾多の難事件を解決し社交界でも名声を得た彼は、戦火にまみれる上海へと舞い戻るが……現代イギリス最高の作家が渾身の力で描く記憶と過去をめぐる至高の冒険譚。